桂の庭

副研究科長 安部武志

 巻頭言の執筆を依頼され,「さて,何を書こうか」と考えたとき,まず頭に浮かんだのは,「そもそも工学広報はどのような読者を想定しているのだろう」という素朴な疑問であった。こういうときに便利なのがChatGPT である。早速尋ねてみると,「企業・産業界(最も重要な読者),卒業生(同窓生),高校生・受験生・保護者,学内関係者,行政・研究機関,一般市民」という答えが返ってきた。もちろんAI の回答をそのまま信じるわけではないが,なるほどと妙に納得した。もし最も重要な読者が企業・産業界なのであれば,この機会にぜひ「桂の庭」を宣伝させていただこうと思う。
 その話に入る前に,「どうしてこうなった?」という,少しばかり私事を書かせていただきたい。この記事を書いている少し前,京都大学は国際卓越研究大学に認定された。そこには多くの目標が掲げられているが,個人的には最も難しい課題は博士号取得者数を現在の約3 倍に増やすことではないかと思っている。もちろん経済的支援や研究環境の充実は不可欠である。しかし,それだけで学生が博士課程へ進学するとは思えない。結局のところ,学部や修士課程の間に「研究は面白い」「もっと研究を続けたい」と思ってもらうことが何より重要なのである。
 とはいえ,私自身が博士課程への進学を決めた理由を振り返ると,必ずしも立派なものではない。もちろん研究そのものは楽しかったが,決定的だったのは当時研究室におられた助手の先生の仕事ぶりを目の当たりにしたことであった。朝はゆっくり出勤し,パソコンの前に座ってひたすら白湯を飲み,夕方になればさっと帰宅される。「これこそ勝ち組の生活だ!」と本気で思ったのである。
 その後,宇治の旧原子エネルギー研究所で6 年間研究に携わったのち,当時の工業化学科工業電気化学分野で助手として採用していただいた。しかし学生時代には電気化学を専門としていなかったため,最初の3 年間はまさに修行の日々であった。それでも少しずつ研究の面白さが分かるようになり,電池研究の奥深さに魅了され,さらに優秀な学生さんたちにも恵まれたおかげで,2009 年度に教授に就任することができた。
 教授になった当時,私は密かに人生設計を描いていた。この年度で専攻長と教育制度委員を務め,その後は地球環境学堂へ異動し,戻ってきたタイミングで学科長を務めれば,大きな役職は一通り経験したことになる。「あとは研究と教育に専念できるだろう」と勝手に考えていたのである。
 ところが,その計画は見事に外れた。2022 年度,予定どおり学科長となった年の暮れに,副研究科長就任の打診をいただいた。何とかご辞退できないものかと考えたが,結局お引き受けすることとなり,立川研究科長のもとで副研究科長を務めることになった。その瞬間,私の「教授人生の残りの設計」は,きれいさっぱり崩壊してしまったのである。
 もっとも,振り返ってみると,この「人生設計の崩壊」は悪いことばかりではなかった。これまで接点の少なかった先生方や事務職員の皆様とご一緒する機会が飛躍的に増え,工学研究科全体を俯瞰して見ることができるようになった。そして,その経験が後に紹介する「桂の庭」やコアファシリティ構想との出会いにつながっていくことになる。
 副研究科長としての最初の2 年間は,工学研究科国際交流委員会副委員長と工学基盤教育センター(ER研究センター)長を兼務することになった。国際交流委員会では,事務職員の皆様の素晴らしいサポートのおかげで,大きな混乱もなく委員会を運営することができた。特に印象に残っているのは,国際交流担当という立場から,大学院および学部の教育制度委員会に出席する機会を得たことである。普段は自分の専門分野や所属学科のことだけを考えがちであるが,工学研究科全体の教育を俯瞰して見ることができ,大変勉強になった。
 ER センターでは,本多先生には終始頼りっぱなしであったが,一つだけ心残りがある。それは,工学の面白さを伝える「工学序論」に加え,「工学と情報」をテーマとした概論科目を開設したかったことである。現在では,AI やデータサイエンスをはじめ,情報はあらゆる工学分野の共通言語となっている。しかし,土木,環境,機械,化学,電気,建築など,それぞれの分野で情報をどのように活用し,研究やものづくりに結び付けているのかを横断的に学ぶ機会は意外と少ない。専門分野が異なっても「情報」という共通の視点から工学を眺めることができれば,学生にとって工学全体を俯瞰する良い機会になるのではないかと考えていた。残念ながらアイデアの段階で終わってしまったが,今でもいつか実現してほしいと思っている。
 2025 年度には研究担当の評議員を拝命し,附属学術研究支援センターの定例会に出席するようになった。その席で初めて知ったのが,「桂の庭」である。
 「桂の庭」は,工学研究科の教員が取り組む研究を動画で紹介する取り組みであり,YouTube チャンネルから誰でも自由に視聴することができる。ナビゲーターが研究者にインタビューする形式で進むため,専門外の人にも分かりやすく,研究者自身の人柄や研究への思いも伝わってくる。研究成果だけを紹介するのではなく,「なぜその研究をしているのか」「何を目指しているのか」という背景まで知ることができるのが,この企画の魅力である。最も多く視聴されているのは,化学理工学専攻の蘆田隆一先生による「桂産直便」Vol.21「バイオマスの化学エネルギーを電気エネルギーに変換し,エネルギー問題に貢献したい!」で,約2,300 回再生となっている。多くの動画は数百回程度の再生数であるが,研究紹介の動画としては,決して少ない再生回数ではない。研究論文の引用回数になぞらえて考えると,これだけ多くの方に研究内容を見ていただけていることは大変価値がある。
 私自身,「桂の庭」を視聴して改めて感じたのは,工学研究科には世界に誇れる研究シーズが数多く存在する一方で,それらを私たち教員自身が十分に知る機会は決して多くないということである。動画を見ていると,「こんな研究があったのか」「この先生と一緒に研究すると面白そうだ」と思うことが何度もあった。つまり,「桂の庭」は学外への情報発信だけでなく,学内の研究者同士を結び付ける役割も果しているのである。
 工学のユニークな研究を,誰でも無料で視聴できる「桂の庭」は,これからの産学連携や異分野融合を支える重要な入り口になると期待している。工学研究科の先生方には,ぜひ研究紹介にも積極的にご協力いただき,多くの方々に桂キャンパスの魅力を知っていただければ幸いである。
 国際卓越研究大学の一つの柱にコアファシリティ(CF)がある。立川前研究科長から工学研究科としてのCF の取りまとめを依頼された際,私がまず考えたのは,「どのような装置を導入すればよいか」ではなく,「工学研究科全体がどのような研究基盤を持てば,研究者も学生も企業も幸せになれるか」ということであった。そこで,各専攻のホームページを一つ一つ見ながら先生方の研究内容を調べ,共通して必要となる分析・評価技術や計測技術を整理した。その結果,電子顕微鏡やX 線CT,超微量分析装置,表面分析装置などの最先端装置を単に並べるだけではなく,それらを有機的に結び付け,材料からデバイス,さらには実際の機械やインフラまでを一気通貫で評価できる研究基盤が重要であるという考えに至った。現在は各系の先生方のご意見をいただきながら,より充実したCF の構築に向けた検討を進めている。
 近年,多くの企業では研究開発の効率化が進み,かつて企業が保有していた中央研究所のような10 年,20 年先を見据えた基盤研究を行う場は少なくなりつつある。一方で,カーボンニュートラル,次世代蓄電池,半導体,量子技術,医療・バイオなど,社会課題はますます複雑になり,一つの研究室や一つの専門分野だけでは解決できなくなっている。だからこそ大学には,最先端設備を共用するだけではなく,異分野の研究者や企業研究者が自然に集い,議論し,新しい研究テーマが生まれる「知の交わる場」としての役割が期待されている。工学研究科が構想しているCF も,そのような場を目指している。企業研究者が大学に滞在し,学生や若手研究者と日常的に議論しながら研究を進め,必要に応じて大型施設や量子ビーム施設とも連携する。このような環境は,新しい技術だけでなく,新しい人材を育てる基盤にもなる。
 実は,このCF 構想を考える上で非常に参考になったのが「桂の庭」であった。繰り返しになるが,動画を視聴して改めて感じたのは,工学研究科には世界に誇れる研究シーズが数多く存在する一方で,それらを互いに知る機会は決して多くないということである。研究内容を知れば,「この先生と一緒に研究したい」「この装置を使えば新しいことができるかもしれない」という発想が自然に生まれる。CF もまた,装置を整備すること自体が目的ではなく,人と人,研究と研究,大学と企業を結び付け,新しい工学を創り出す「場」を提供することが本当の目的である。「桂の庭」は,その入口として工学研究科の魅力を可視化し,多くの人に伝える重要な役割を担っている。ぜひ一度ご覧いただき,自分の専門とは異なる研究にも触れていただきたい。その出会いが,次の共同研究や新しいイノベーションにつながることを期待している。
 最後に,「桂の庭」のYouTube チャンネル(7 月上旬現在,登録者209 名,動画75 本)をご覧いただき,面白いと思っていただけたら,ぜひチャンネル登録をぽちっとお願いしたい。

(化学理工学専攻 教授)

桂の庭 YouTube チャンネル https://www.youtube.com/channel/UCGBOR7yw0eZiCICXJwO9N1g