世の中便利になりましたが・・・?

荒木 光彦

随想ということで、思い出話を中心に勝手気儘に書かせて頂きます。

まずは、交通事情から。私の母は三重県四日市の出身ですが、第2 次大戦後、祖父母が三里村というところへ引きこもっておりました。避暑をかねて夏休みの2 週間ほどをそこで過ごすというのが、小学生の頃からの恒例行事でした。英語の教師をしていた叔父一家も一緒に暮らしており、少し年下の従弟妹がいましたので、三里村滞在は楽しみでした。しかし、往復の汽車の旅が難行苦行!東海道本線、草津線、関西本線と経由して国鉄四日市駅着。そのあと、三岐鉄道の駅まで移動、小さな列車に揺られて三里駅へ、さらに歩いてやっと到着です。8 時間くらいかかりました。(50 年近く昔のことなので、数値データや漢字表記は信用しないでください。)汽車も、山間部を通っている時には、窓から涼しい風が入ってそれなりに快適なのですが------。トンネルに入る度に窓を閉めなければなりません。閉めるとすぐに暑苦しくなってきます。さらに、同じ箱で閉め忘れた人がいたりすると、煙が充満して喉が痛くなるは目にも沁みるは、大災難です。四日市の町を横切るバスもなかなかこないし、日差しが強いし、といった具合です。今では、新幹線で名古屋まで50 分弱、そこから近鉄に乗って四日市で乗り換えれば、全区間冷房完備で快適に行けるようです。いえいえ、一層のこと、自家用車で京都東IC から名神に入り、あとはナビ任せであっという間かもわかりません。

私は、東京都板橋区練馬南町2 丁目3810 というところ(こんな住所は現在ありません、念のため)の病院で生れたのですが、半年で京都に転居しました。中学高校時代に、伊豆箱根や北海道へは行く機会があったのですが、生誕の地東京へ行ったのは大学生の時が初めてでした。京都駅まで市電で50 分程度、京都駅から東京駅まで急行で9 時間、その他の時間を含めますと、家を出てから宿に到着するまで11 時間以上かかったように思います。でも、行ったことのない東京への期待があったせいか、あまり苦になりませんでした。その後、新幹線が出来て、はじめの頃は東京まで4 時間ほどだったと思います。それが3 時間になり、いまでは2 時間強。京都駅へ行くのも地下鉄で16 分です。経費節減を図るなら、深々としたリクライニングの夜行バスで一眠りしている間に到着、という選択肢もあるそうですね。

次に、学校生活に移ります。これも随分と様変わりしています。小学校の給食で脱脂粉乳というのが毎食出てきて、嫌いな子が目を瞑って一気に飲んでいたのを覚えています。勿論、給食を残すなどということが許される時勢ではありませんでした。ところが、最近では、栄養だけでなく味にも気を配った給食になったそうです。にもかかわらず、嫌いなものを無理やり食べさせたりすると親から厳しい抗議があるので、残飯が結構でるという話を聞いたことがあります。暖房もだるまストーブでした。小中高の間は、適当に燃料を継ぎ足せたので、授業時間中に寒くて震えていたという記憶はありません。しかし、大学は酷かったように思います。身体があまり頑強ではなく、特に寒さに弱かった私にはかなり応えました。電気の強電実験室などは、天井が高くて暖房がほとんど効かない上に、金曜日丸一日実験だったので、終わる頃には身体が冷え込んでしまいました。重装備をして白金懐炉(今のホカロン相当品)を持って行っていましたが、一冬に2 ~ 3 回は風邪で寝込みました。

受験の世界も随分と進化?したようです。私の時代にも、大学受験については予備校があり参考書も一応そろっていました。しかし、たとえば英語の単語を覚えるのに、“ 豆単”もしくはその類似品しかなくて、A で始まる単語の知識が他を圧倒している傾向がありました。その後しばらくしてから、“ デル単(シケ単とも言う?)”などという最適化された資料が出現し、勉強の効率が随分改善されたようです。ただし、それと併行して“ 受験年代”がどんどん下がり、サポート体制も整備されていると聞いています。

私は中高一貫の私立高校で学びましたので、中学入学時に入学試験を受けています。しかし、受験勉強をした覚えがありません。そもそも、中学受験用の塾も参考書もありませんでした。何だかよくわからないまま、突然親に連れて行かれて、簡単な筆記試験と、かなり時間をかけた面接試験を受けて帰ってきただけです。あとで、「良い成績で通った、通った」と母親が知り合いのおばさん達にえらく自慢しているのを聞いて、随分白けた気分になったのを覚えています。最近、中学受験についての相談を受ける機会がありました。「算数の問題がわからないので教えてください」というお話については、それなりにお役に立てる自信がありました。しかし、「X中学を目指しているのですが、どうしたら良いでしょうか?」とお尋ねいただいたときには、どうお答えしたら良いものか弱りました。ご本人の塾の成績と、一通り目を通すだけでも数時間かかりそうな受験資料を前に、“ まあ大変だー!う~ん? ”です。「何が何でも頑張れー!」というには道中が長すぎるし、かといって「こんなの止めて、遊んでしまおうよ。」というには本人が真剣すぎるし。「健康に気をつけて、ご本人の意向を尊重してあげて、塾や家庭教師派遣会社などとも相談して頂いて、むにゃむにゃむにゃ。」と誤魔化すばかりです。でも、こんなことで驚いていたのでは、まだまだ時代遅れのようです。テレビを見ていたら、東京近辺の幼稚園児の30%程が、小学校受験塾へ通っているとか。

長くなると鼻について来ますので、昔話はこの辺で終わりにしましょう。交通事情は格段に向上しましたが、そのため、かえって仕事がきつくなってしまったようです。新幹線のお陰で、東京での会議も日帰りが当然、いまでは、午前中京都で授業、午後東京で講演という日程も当たり前になっています。学校環境の改善は私にとって大変有難いことで、最近、冬でも長期間寝込むことがなくなりました。でも、“ 嫌なものは食べなくて良い”と決め込んでしまうのも、どうかと思います。受験勉強も、トータルで理解するという意味で重要なステップと思います(5 年一貫教育の高専に勤めていますと、そういう思いも強くなってきました)が、極度にマニュアル化された勉強ではかえって考える力を退化させてしまう可能性があるでしょう。まして、中学校、さらには小学校受験となると問題が大きいと感じます。“ 便利になった”を入力して、変換キーをおすと、“ 住み良くて健全な世の中”が出てくるようにしたいものです。

(名誉教授 元電気工学専攻)