定年雑感

山品 元

山品 元私は、生産工学分野を専門としております。この分野は、日本が欧米を大きくリードしている分野ですが、不思議なことに日本の国立大学でこの分野を開講している大学は非常に少なく、従って、この分野を研究している人達は数少ないと言えます。一方、ヨーロッパ、例えばイギリスでは、象牙の塔と呼ばれるケンブリッジ大学でさえ Center of Manufacturing Excellence を設けており、この分野で産学協同活動をよく行っております。またドイツでは、ベルリン工科大学、シュトットガルト工科大学、アーヘン工科大学、スウェーデンでは、王立工科大学、シャルマーズ工科大学、イタリアではミラノ工科大学などで生産工学分野での産学協同活動が活発に行われております。私は、日本の国立大学では数少ない生産工学分野の研究者だったからかヨーロッパの主要な大学から招聰教授としてよく招かれ、ヨーロッパの教育・研究内容を拝見する機会に恵まれました。また、招かれた大学の先生を通じて紹介されたせいか、国際的に著名な企業が日本人にはなかなか見せてくれない所までを見学させてくれた貴重な経験をもっております。そういう意味では大学人であることも悪くないなと感じておりました。

これらの大学や企業では日本のものづくりに対する関心が高く、よく勉強していました。日本は戦後アメリカから品質管理(QC)、設備管理(PM)、インダストリアル・エンジニアリング(E)などを積極的に取り入れ、日本独自のシステム “TQC、TQM, TPM”などに発展させ、多くの手法を開花させています。欧米企業が日本のものづくりの成功に魅せられてこぞってこれらの手法の導入を図りましたが、私の知る限り、多くの場合定着せず、失敗に終わっていると言っても過言ではないと言えます。

日本では、多くの場合、まず形から入ってやがてある種の思想にまで高めていく傾向にあり、TQC,TQM等のシステムとて例外でなく、この陥穽に陥っています。生産の場において、すべての問題が一つのシステムで解決できるはずがないにも拘らず、一部の大学教授がこれらのシステムを導入さえすれば全ての問題が解決できる様な言動をとっていたことを恥ずかしく思っています。どうも日本人というのは何でも行き過ぎてしまう傾向にあり、ヨーロッパの人と比べてバランス感覚が欠けているように思われがちです。今や日本でもこれらのシステムに深刻な疑問が投げられるようになっています。これらのシステムで忘れられていたのは、生産の主要課題であるコスト削減とこれらのシステムとの関係であり、これらの活動を行った結果、かえってコストが上昇してしまったという笑うに笑えない話が多々聞かれます。

私は、生産工学の分野で企業ニーズに基づいた課題に取り組んでまいりましたが、日本のみならずヨーロッパの企業の製造の場では、ほとんどの人達が生産工学の基本的な知識さえ持っていないで製造している現実にいつも驚かされ、理論と現実との乖離の大きさによく戸惑いを覚えておりました。特に使われることのない理論をいくら開発しても何のためになるのかと多々迷うこともありましたが、幸いなことに私の開発したコスト展開法がヨーロッパの主要企業で受け入れられて、やっと使える理論が開発できたと喜んでおります。ヨーロッパにおけるコスト意識は相当なもので、コスト削減のためには人の解雇も簡単に行われるほどです。私のコスト展開法は、今まで別の分野であったファイナンスとプロダクションを結合したものです。ヨーロッパの多くの企業で、これが日本の各種ものづくりシステムの欠陥を補うものとして受け入れられている様です。そのため、定年後は一年の大半をヨーロッパで過ごし、多くの企業にコスト展開法の指導を行っております。ヨーロッパの面白さは飛行機で1-2時間飛べば全く違った文化や考え方の異なる人々、特色のある食事に接することができることにあると思います。私は、生来、好奇心が強く、この年になってもこうした異文化に接することに興奮を覚えます。私にとってのアンチエイジングの処方箋になっている様です。在職中に行っていた理論の実践との融合を図った研究が定年後の仕事に大いに役立っていること、これも京大で長年に渡って面白い研究をやらせていただいたお陰と日々感謝している次第であります。

(名誉教授 元機械理工学専攻)