3大学を経験して

東谷 公

東谷 公小生は、京都大学工学部化学工学科を卒業後、直ぐに米国Wisconsin 大学大学院工学研究科化学工学専攻博士課程に入学し、4年半を大学街・Madison 市で過ごした。当時のWisconsin大学化学工学科は、順位付けの好きなアメリカで随一を言われ、同学科の学部入学者の内、卒業できるのは1/4 で、ドロップアウトした人達は、働くか他大学に移っていった。セメスター・単位制をとっており、あるセメスターで一定の単位をとり、学資が無くなると、次のセメスターは学資稼ぎに当てる。学資が溜まるとまた大学に舞い戻り、学業を続け、卒業に必要な単位を取り終えると卒業する。出入り自由である。授業は50 分で週3回である。この方式だと、学生が1 セメスターに取れる授業数は限られており、学生は少数の科目に集中した勉強が可能となる。一般に、学部生は卒論を行わず、スクーリングだけで卒業する。卒業後は他学科、他大学にゆく学生が大半である。

大学院は博士課程一貫制で、約5年かかる。大学院に入学できる学生数は、その時の学科の財政状況で決まる。それは大学院生が、経済的に親から独立し、Research Assistantship(RA) またはTeaching Assistantship(TA)で生計を立ており、これらの資金が、先生方の研究費と大学の独自資金とで賄われるためである。資金を有する教員が学生を募集し、学生は目指す先生に面接を申し込んで互いに納得して、指導教員を決める。一旦入学しても2つの関門がある。1つは学科試験で、他の1つは博士課程における自らの研究課題のオリジナリティを調べ、その結果を数十~百ページ程度の報告書にまとめて発表することである。これらの試験に失敗し、大学を去る人達のために、修士号が準備されている。勿論、合格した人達も修士号を取ることができるが、取らない人が多い。博士課程でも結構スクーリングが重視され、学部科目を取ることも認められており、自由度が高い。

教員は、学生が行う研究成果に自らの業績が依存するため、世界中から集まった学生の中から雇う学生を慎重に選ぶ。しかし、飛び切り優秀な学生は、逆に学生の方が先生を選ぶ。Cal.Tech. の化学工学科でさえも、トップ数十%の学生がMIT に取られると嘆いていた。教員が持つ学生数は、自らの研究資金力によって決まる。資金力によっては数多く雇う人も居れば、資金力があっても少数精鋭で行く先生もいる。当時のWisconsin 大学化学工学専攻では、1学年約20 名、合計約100 名の博士課程の学生がいた。このような状況下での大学院生と教授の関係は1:1の関係で、生活が掛っている学生にはかなりの重圧である。従って、研究室の全体的な雰囲気は、「自らの出来、不出来は自分の責任」という大人の雰囲気である。

一方、教員については、アメリカでは年齢による差別が撤廃され、定年制が無い。これは、教授は、年取っても常に若い学生と魅力ある教師としてディスカッションをする意欲をもち、研究成果を挙げ、学生を雇うための研究費を取り続けなければ成らないことを意味し、身分保障をしたテニュアー制度も有るが、基本的には、教員の側も年齢に関わらず自然淘汰されることを意味している。これらの制度の精神は、学生も教員も意欲ある者だけが生き残れるシステムで、国境はない。

小生は、帰国後、九州工業大学(国立)に奉職した。九州工業大学の学生は、教員側の研究計画さえしっかりしていれば、研究に誠実に取り組み、必ずやり遂げてくれる強い意思と、教員に対する畏敬の念を持っていた。しかし小生は、留学生を除き、研究者になりたいという学生を育てられなかった。

平成4年に、京都大学工学部へ帰ってきた。途端に、続けさまに博士課程への希望者が出て、まざまざと学生気質の違いを見せつけられた。京大生の面白いのは、如何にサボリでも、一旦、研究の面白さが分ると、最初のノロノロ運転が指数関数的に速くなり、終わってみれば、小生の予想を超えた出来栄えに成っているケースもあることである。とは言え、我が研究室の特殊事情かもしれないが、なかなかWisconsin 大学で経験したような「大人の雰囲気の研究室」を作ることは難しかった。これは博士課程の学生数の相対的な少なさによるものとも考えられるが、学生の教員への依存度が高い、すなわち学生が十分に「大人」になっていないことにもよるのではないかという気が、最近、特にする。京都大学に限らず日本の大学では、一旦、入学してしまうと、学生を卒業させるためのあらゆるプログラムが用意されている様に思う。学生の学力が落ちていると言って、学生が取るべき科目の自由度をほとんど奪ってしまい、意欲がないと言っては、意欲付けようと種々のプログラムが準備される。学生にもう少し考える時間と自由度を与え、自己責任を持たせ、多少時間が掛かっても「力強い大人」に育てた方が良いのではないだろうか。特に、京都大学のような、日本のリーダーとなるべき人達を養成する必要のある大学では、上で述べた「本当に意欲ある者だけが生き残れるシステム」を大胆に取り入れ、生き残った学生については手厚い経済的援助をする必要があるのではないだろうか。28 歳まで無給で研究させて、博士課程の学生数が増えるだろうか。さらには、日本人が弱いと言われている、「ディベート力・交渉力・国際性」を育むプログラムを導入し、今世紀前半に起こるであろう「食料、エネルギー、環境を取り巻く世界の大激震」に十分通用する人材を本気で育てる必要がある時期に来ていると思う。その点、西本研究科長が平成19 年度後半から導入されたグローバルリーダシップ大学院工学教育推進センター構想は時を得たものとして、その成果に期待している。

(名誉教授元化学工学専攻)