研究環境の昨今

石川 順三

石川 順三昭和45年に助手に奉職してから京都大学で研究教育に携わった39 年間があっという間に過ぎ、“光陰矢のごとし”とは正にこのことを言うのではないかという感があります。しかし、この40年近い間には、大学における研究環境が随分変化してきたと思います。残念ながら、次第に悪くなってきたというのが実感です。昔を懐かしむと、どうしても過去を美化することが多いのですが、多少間引いて考えてもこの傾向は間違いないような気がします。

大学での研究は1つの研究室単位で行うことが多いので、私が考える研究環境の尺度は、1研究室当たりのスタッフの数や1研究室当たりの研究経費が重要なポイントとして考えてきました。もちろん、世の中の研究テーマの動向も重要な要素になります。

まず、スタッフの数について考えてみると、私が助手になりたての頃には1研究室のスタッフは、教官(昔風の呼び方にします)として教授1名、助教授1名、助手2名であり、それに技官の方や事務職員の秘書の方がおられ、5~6名の構成員で成り立っていました。ところが、次第に1研究室当たりのスタッフの数は少なくなってきました。一つには慢性的に続けられてきている定員削減が原因であり、他には突然起きる機構改革によるものがあります。定員削減だけでもかなりの人数が削減され、技官の方がいなくなり、研究室の秘書の方は外部資金で雇用するしかなくなってしまいました。悪いことに、研究環境を良くするはずの大学院重点化の機構改革において、1研究室のスタッフ中の助手が1名削られてしまいました。減ったスタッフはポスドクで補うという話のようでしたが、とても補える状態にはありません。結局、この40年ほどの間に、1研究室のスタッフの数は半分近くに減ってきてしまったのです。特に若いスタッフや研究を補助するスタッフが削られています。この若手スタッフの減少は、実験系の研究室ではとても大きな傷手になってきており、研究室全体の忙しさは、とても余裕のある研究ができる状態にはないとところまできてしまっています。

一方、大学で研究室に割り当てられる研究経費はどうかというと、1研究室当たりの40 年前の校費と現在の運営交付金の金額はほとんど変わっていません。この間に物価は10 倍以上になっていますから、如何に自由な研究(基礎研究)に使える経費が少なくなったかが分かります。実験系の研究室では外部資金の導入がなければ成り立たないのが現状ですが、最近の外部資金はかなり実用化指向が強く、しかも使用目的を厳しく管理されているため、その一部を自由な基礎研究に回すことができなくなってきています。

大学というのは、自由な研究ができることが大事であり、それが蓄積されて新しい発見や技術が育っていくのだと思うのですが、現実はこのような研究環境の破壊が長年起こってきてしまっています。

しかも、今の日本のようにトップダウン的に重点的なテーマにだけ多くの研究費が配分されるだけでは、次の日本を支える新しい発見や技術は育たないと思っているのは私だけでしょうか。いつか、大学の重要性が再認識される時期がきて、本来の大学的な研究環境が復活してくれることを期待しながら、私は外から京都大学を見守りたいと思っています。

(名誉教授 元電子工学専攻)