電池研究に想う

小久見 善八

小久見 善八筆者が40年以上お世話になった“工業電気化学分野”は、この分野では我が国の最も古い研究室の一つであり、これまで電気分解と電池に関連する研究を中心に取り組んできた。アルミニウムの電解精錬やソーダ電解工業、表面処理や腐食、一次電池、二次電池など、変遷はあるが、関連産業が活発であったこともあり、産業との関連を保ちながらそれをリードする方向で研究が進められてきた。その点では、工学部・工学研究科にフィットする分野であろう。しかし、産業を見ながら、大学で取り組むべき基礎研究を進めるというのは簡単なことではない。恩師を始め諸先輩方は産業との繋がりを大事にしながら、大学で取り組むべき基礎研究を育ててこられた。筆者もそれを心掛けてきたつもりではあるが、どこまでできたかは甚だ心許ない。最初は電解に取り組み、その後は電池・燃料電池を中心に研究してきたが、この20年ほどの間に蓄電池から燃料電池、さらにもう一度蓄電池が大きな社会的関心を集め、その中で研究を続けることができたのは幸運であった。

この間、特定研究(重点研究)の班員や班長、JSTのCREST、21世紀COEなどをやらせて頂いた。これらを通して、多くの先達や気鋭の若人と交流する機会を与えて頂いた。また、これらの研究を進めるにあたり、“自分が今やりたいこの研究は電池や燃料電池の発展に役立つ基礎研究である”と声を大きくすれば、 “そうですか、そうなんです”となんとなく納得していただいて、かなりのことまで認めてもらうことができたのは、京都大学の幅広い先輩方の実績のおかげであると感謝している。

定年直前の2、3年になって、それまでの燃料電池に加えて、再生可能エネルギーの利用や次世代移動体の実現に向けたキーデバイスとして蓄電池が急速に注目を集めるようになり、真にありがたいことではあるが、ブームの急激な立ち上がりに少し振り回されるようなところもある。

ハイテク蓄電池と呼ばれるニッケル-金属水素化物蓄電池やリチウムイオン電池が1990、1991年に我が国で開発されたことからもわかるように、我が国の蓄電池産業は現在世界をリードする立場にある。世界に先駆けた開発以来、ハイテク蓄電池産業は携帯電子・情報機器の電源として我が国で順調に発展して来たが、その重要性が認識され始めると、海外、特に近隣諸国で電池産業の育成熱が高まり、本格的に取り組み始めた結果その技術が急速に進展し、我が国に迫りつつある。今や、蓄電池も液晶ディスプレイや半導体メモリの轍を踏むのではないかと懸念される状況にある。加えて、環境とエネルギーの課題に対処するための有力なデバイスとの位置づけが与えられるようになり、欧米でも蓄電池の研究開発と産業育成に力を入れ始めている。

電池は一般に“ローテク”と捉えられている。確かに、一昔前までの電池は“混ぜて”、“捏ねて”、“塗る”プロセスでつくられてきたが、最近のリチウムイオン電池はミクロンの精度で数十ミクロンの厚さに塗布された合剤電極を数十ミクロンのセパレータを挟んで捲回し、水分を20ppm以下に抑えた有機電解液を充填してレーザー封口して製造される。十分に“ハイテク”と言っても良いのではないか。蓄電池はエネルギー密度が高くて短時間で充放電でき、何度も充放電できることが要求されるが、これらの要求を満たすのは容易なことではない。例えば、携帯用の蓄電池には1000 回ぐらいの充放電サイクルが要求される。充電というのは放電反応を逆に進めることであるが、この反応が99.9%可逆に進んだとしても1000サイクルすれば36.8%にまで劣化することになって商品としては不十分である。99.98%可逆とすると1000回サイクル後81.9%になり、商品として受け入れられる。電気自動車用蓄電池や電力貯蔵用の蓄電池には3000回程度のサイクルが要求されるので充放電反応の痕跡を10ppm以下に留めることが必要となる。また、1日に0.1%劣化が進行するだけで、1年ではせいぜい70%の性能が維持されるに止まることになる。これからわかるように、蓄電池の化学は極めて微量の副反応を抑制することが望まれる。また、我が国で10 億個以上のリチウムイオン電池が製造されているが、1千万個に1個が重篤な不具合を起こすと、製造企業の経営に大きな影響を与える。これらも別の意味でのハイテクと言えよう。現行のハイテク蓄電池は革新がなされて生まれた技術であり、これの更なる進展と次世代の蓄電池の開発にはナノマテリアル、ナノテクノロジーを活用してイノベーションを進めることが必須となっている。蓄電池の研究に携わり、各種の会合などに出席して気付かされたことであるが、一般の人は勿論のこと、専門が少し離れた研究者や技術者に“技術”を理解してもらうことは大変難しいことである。電池はエネルギーの缶詰といわれるが、食料の缶詰に対してその内容物をもっと沢山詰め込めとは普通は要求しないが、電池に対してはもっとエネルギーを詰め込めと要求をする。電池の反応量は質量作用の法則に従うので、これは同じ大きさの缶詰に肉や筍を沢山詰め込めと言うのと同じことであるが、それは理解されない。電池のようなエネルギーデバイスに対して、集積回路などの機能デバイスに対するムーアの法則を当てはめるようにと要求するのは不合理であると思うが、研究開発の方針を決定するようなクラスの人たちに対してその不合理さを理解してもらうことは容易なことではない。技術の本質を把握した上でその研究開発の促進を図るのが望ましいが、それを期待するのはかなり難しい。科学技術創造立国を標榜しながら、笛を吹けば自然科学が飛躍すると考えているのではないかと思える“リーダー”が少なくないようである。魔法の杖で新しい科学・技術が出てくることを期待するのは無理であろう。着実な研究開発を進めることが近道であると思うが、そのような意見の高まりを待つのではなく、そのような方向に持っていくように正面から努力をするか、あるいは、実を取るような方法を考え出すことが望まれているのが現実であろう。

(名誉教授 元物質エネルギー化学専攻)