想像力を育む
3月24日の学部・工業化学科の卒業式に教務委員として出席し、最年長ということで祝辞を述べることになっている。その内容を留め、責に代えたい。
(1)意識をもって人の話を聴く
個人の知識はたかが知れている。役に立つヒントは講演など人の話から得られることが多い。ただ、漫然と聞いていてはだめである。「困っている(うまくゆかない)反応を3つほど頭に入れておき、人の話は常にこれに利用できないかと関連づけながら、聴きなさい。ヒントはあちこちに落ちている。」ノーベル賞受賞者で有機合成の芸術家といわれたウッドワード教授の言葉である。
(2)検察官と弁護人の二役を演じる
意図したことがうまくゆくと嬉しく楽しい。逆に、うまくゆかないと悲しく、時に落ち込む。これだけなら進歩はない。「成功」したことに対してはこれを疑問視する検察官の立場から厳しく検証する。逆に、「失敗」したことに対してはその意味することを弁護人の立場から肯定的に捉え新たな可能性を夢想する。両アプローチの交わるあたりが真実であり、ここに新たな展開の出発がある。
(3)起こったことがベストと考える
人生にとって計画性は大切であるが、「こうすればこうなるはず」的な計画はほどほどにすべきであろう。人生はそれほど単純なものではない。期待はずれの失敗、予期せぬ転勤、仕事内容の変更など、快くないこともときに、あるいはしばしば起こる。私の場合は45 年の研究生活で京都大学(京都)→九州大学(福岡)→長岡技術科学大学(新潟県長岡)→九州大学(福岡)→京都大学(京都)と動き回り、苦労も多かった。特に長岡では2mの雪と格闘した。しかしながら、今、長岡の13年間は私と家族にとってかけがえのない人生の財産となっている。「起こったことがベスト」の人生観は生きることを多少容易にしてくれるのみならず、かなり正しいと思う。
(4)想像力を育む
知識と知恵、経験と勘、リスクを厭わぬ勇気。いずれも、仕事(研究や開発、営業など)や人生そのものにとって大切な資質である。人の真価が問われるのは頼るべき前例のない深刻な事態に遭遇したときであろう。このときは前述の「平時の資質」はあまり役にたたない。緊急時(乱世)に適切な判断(決断)を下すための指針は何であろうか。私は想像力だと思う。創造(creation)も大切だが、ここは想像(imagination)である。多様な価値(感)に対する包容力といってもよいし、人の器の大きさともいえよう。想像力をいかに育むか、難しい課題だが、ここで若い日の「勉強」以外の生き方が生きてくる。「一見役にたちそうにないことをできるだけ多くやっておきなさい」、「自分とは考え方や価値観の異なる人と同性・異性を問わずできるだけ多く交わりなさい」、若い人々に申し上げたいゆえんである。
考えてみれば(1)から(4)まで、全て想像力の世界である。昨今の学生は論理的な展開がうまくできず、コミュニケーション力が不足し、言われたことはちゃんとやるが自分から発想することが苦手で…などとよく言われる。要するに想像力の欠如ではないか。思いやりや公徳心もしかり。友達が来てビールを呑んで…空き缶がごろごろ。今日はごみ(可燃ごみ)の回収日。缶ビールの空き缶を少し中に入れておいても…との誘惑を断ち切るのは、もちろん規則を守る順法精神であるが、可燃ごみの中にある空き缶が個人レベルで、社会レベルで、あるいは地球レベルで及ぼす影響、そしてそれが究極的に自分自身にも跳ね返ってくることへの想像力がその根底にあるべきだろう。我々が子どものころは工夫しなければ遊ぶこともできず、将来の夢も含め想像の世界だった。いろんなものが勝手に入ってくるネット時代にいかに想像力を育むか、大学を含めた教育の根幹的な課題であろうと思う。
(名誉教授 元合成・生物化学専攻)