生命―21世紀建築論の課題
私の専門は建築論と建築設計です。建築論は森田慶一先生にはじまり、増田友也先生、田中喬先生と加藤邦男先生、前田忠直先生と継承されてきました。森田先生が述べられたとおり、建築論は建築の本質を考える建築哲学と言えます。建築は人間の日常生活の環境を創造する技術です。しかし、人間の生活は多様な意味に満ちているので、人間のための「良い」環境を一義的に定めることはできません。そこに建築技術のもどかしさがあります。つねに「良い建築とは何か」と立ち止まらざるをえないのです。
20世紀前半、建築の本質は「空間」として、後半では「場所」として論じられてきました。空間は近代建築の理念のひとつで、身体にともなう行動的な空間と幾何学的空間との交錯が探求されました。
第二次大戦が終わると、人間存在の歴史性や社会性が注目されるようになります。普遍的な身体観にもとづく近代建築の普遍性が、逆に画一的な環境を生みだしたと批判されはじめたのです。人間はさまざまな「場所」において存在していること、その場所は個人の存在に先立つことが再認識され、場所に応答する建築が要請されるようになりました。
20世紀末からは、地球温暖化が人類的な課題として急浮上しています。こうした状況は、建築を人間中心の「場所」において捉えることに限界をもたらしました。生命圏という新しい概念が論じられつつあるように、建築もいまや地球や生命という大きな文脈のなかで考えられなければなりません。
宇宙的生命という考えは、西洋では古代ギリシアに遡りますが、18世紀末からのロマン主義がふたたびこの観念を主題化しました。それは機械論的自然観の隆盛に対抗してあらわれたもので、客観的自然物と主観的人間精神を、根源的な生成力としての自然によって統一的に把握しようとしました。
K-Villa(北軽井沢の別荘)外観
その後、ロマン主義はアール・ヌーヴォーなど、感情移入による有機的生命の表現へと展開しました。しかし、それはまた20世紀の抽象芸術を導いたことを見逃すことはできません。ロマン主義では、万物の根源的生成力は単純な幾何学的秩序から複雑なものへと展開すると考えられました。そこから、芸術は自然物の外観の模倣ではなく、自然界の幾何学的秩序を捉える人間精神の表出であるべきとされたのです。芸術学者ヴォーリンガーは、これを感情移入に対する抽象衝動としました。
生成力としての自然から抽象的建築形態を生みだした近代建築家にフランク・ロイド・ライトがいます。ライトは自分の作品を有機的建築と呼びましたが、それはけっして曲線や曲面によって感情移入を誘うものではありません。むしろ単純な幾何学を基本とし、抽象衝動に導かれた作品です。その後、20世紀の近代建築は抽象化への道を辿りました。しかし、抽象衝動の根底にある生成力としての自然の観念は機械論的な自然観へと置き換えられ、テーマ化されたとしても感情移入の観点から親自然的な有機的形態の問題へと後退してしまったのです。
西田幾多郎はヴォーリンガーの抽象衝動を掘り下げ、「芸術は身体的方向に身体を超え、技術の底に技術を超えるところに成立する」と述べました。これは抽象衝動の具体相であり、芸術制作における内在的超越の道を説明したものです。その道の先に捉えられるものは、ロマン主義が見出し、ライトが具現化した根源的生成力としての生命でしょう。建築が向かうべき方向は、ふたたびこうした生命という視点から組み立て直されるべき、と私は思うのです。
K-Villa(北軽井沢の別荘)内観
(准教授 建築学専攻)