工学研究科は工学を超えられるか

評議員 谷口 栄一

谷口 栄一はじめに

私が十数年前に京都大学に赴任し、工学研究科のある先生に着任のごあいさつをした時に、その先生は「工学研究科はいずれなくなるかもしれない」という趣旨のことを言われた。私は着任早々でその意味がよくわからなかったが、その先生の言われたことは、工学研究科から情報学研究科、エネルギー科学研究科などの新しい分野が独立し、これから地球環境学堂が独立するという情勢で、いずれ工学研究科の重要部分が外へ出て行き、工学研究科自体がなくなるかもしれないというお話であった。その後十数年がたち、その間に工学研究科が関係する連携大学院として、地球環境学堂、経営管理大学院ができたが、その先生の予想とは異なり、工学研究科はなくならずに依然として重要な研究科として存在している。

この間、工学研究科の運営にあたられた諸先生方は、あまり小さな独立した研究科を新しく設立するよりも大きなマスとしての工学研究科を維持したほうがよいという選択をされたものと推測される。このような考え方のもとで今日の発展する工学研究科が存在しているが、ここでは将来の方向を見通すために、次の4点について若干考えてみたい:1)工学という学問だけでは今日の複合的な問題を解決するには限界があるのではないか、2)工学研究科という大きな枠組みを維持しながら、新しい学際分野、融合分野をどのようにして開拓していけばよいのか、3)国際性が強く求められる情勢の中で、工学研究科はどの方向に進めばよいのか、4)また以上の事柄は、学生の工学教育にすべてが収斂してくると考えられるが、工学教育の目指すべき方向は何か。

工学の限界

工学という学問は広い範囲をカバーしているようで、実は狭い範囲の学問ではないだろうか。たとえば、地球環境問題は今日の大きな問題であるが、工学的アプローチだけではとても解決できないほどの複雑で難しい問題であり、自然科学、経済学、社会学などとの連携が必須になっている。また、人口減少社会の都市における安心安全を確保するためにどうすればよいかという問題についても、工学のみならず、医学、心理学、農学、地理学などとの連携が必要になる。このように今日われわれに突きつけられている問題は、従来に比べると、複雑な多数の要素から構成され、いろいろな利害関係者が関係し、さらに国際的な広がりのある問題であることがわかる。このような人類が今まで経験したことのない未知の大きな問題を工学的なアプローチのみで捉えようとすることはおそらく不可能に近いと思われる。工学の中では、以前からシステムズアナリシス、システムズエンジニアリングといわれる分野が発達してきたが、地球環境問題や人口減少社会の問題のような人間の行動や歴史的地域的背景を含む問題をシステムという概念でとらえること自体をまず検証する必要がある。もちろん、工学的にデータを収集し、モデル作成、分析、解決策の検討を行い、うまくいかなければまた元へ戻るという方法論が有効である場合も存在するが、それは一部の問題に対してであり、上記のような人間の歴史や地域の特性が関係する問題に対しては、問題全体の解決にならない場合が多い。

このように考えてくると、今日の日本あるいは世界の国々が直面している問題は、課題の把握のためだけでも様々な学問分野の連携が必要であり、また研究の方法論についても新しい方法論を開発することが求められており、さらに解決策の実施という段階になると、社会的な受容性、説明責任、合意形成などの難しい問題が浮かび上がってくる。最近ではガバナンスという概念のもとに、たとえばリスクガバナンス、都市ガバナンスという形で、この種のかなり広い範囲の問題が議論されることが多い。

ここで、反論として、工学はそこまで踏み込んで行くべきではなく、工学的アプローチで解決できる範囲内で研究を進めればよいという意見も当然でてくるだろう。しかし、もし今日の社会における重要な問題の解決に貢献しようとするならば、工学の立場を明らかにした上で、部分的貢献よりも全体的貢献を目指すべきではないだろうか。

工学と他の学問の融合

工学研究科では、工学と医学の融合をめざすナノメディシン融合教育ユニット、工学と薬学の連携としての先端技術グローバルリーダー養成ユニットなどの、他研究科との連携プロジェクトがすでに動いており、最近では、工学と経営管理学との連携プロジェクトとして低炭素都市圏政策ユニットを立ち上げようとしている。このような他研究科との連携プロジェクトは、工学研究科が工学の限界を超えて、新しい学際分野を開拓しようとする試みであるととらえることができる。また、法人化後は、大学の使命として教育に重点が置かれているので、社会人を含めた学生の教育に焦点を当てた新しい教育ユニットの意義は大きい。その意味ではこれらのプロジェクトは大変望ましいことであるが、一方では、そのようなプロジェクトに時間を割かれるよりは、自分の専門分野にもっと特化して研究を進めるべきであるという意見もある。現状では、これらの教育ユニットは実質的に一つの部局として扱われるため、教育ユニットに参加される先生方は、新しい教育ユニットの立ち上げ、優秀な教員・学生の確保、運営管理のために相当な時間と労力を費やさざるを得ない。このような他の学問分野との融合プロジェクトを成功させるためには、教育ユニット支援のための事務組織の充実、プロジェクト終了後の支援などの課題を解決する必要があると思われる。

国際性

日本の大学が国際性をもっと持つべきであるという議論は古くからなされてきたが、最近文部科学省の国際拠点形成整備事業(グローバル30)が、全国の13の拠点大学で実施されることになった。京都大学もグローバル30の拠点大学として選定され、平成21年から5年計画で実施される。グローバル30は、「大学の機能に応じた質の高い教育の提供と、海外の学生が我が国に留学しやすい環境を提供する取組のうち、英語による授業等の実施体制の構築や、留学生受け入れに関する体制の整備、戦略的な国際連携の推進等、我が国を代表する国際化拠点の形成の取組を支援することにより、留学生と切磋琢磨する環境の中で国際的に活躍できる高度な人材を養成することを目的としている。」(出所:文部科学省HP)京都大学のなかで、大学院の専攻はたくさんグローバル30に参加しているが、学部レベルでは、唯一工学部地球工学科国際コースのみが参加している。この国際コースでは、学部の講義や研究指導などすべて英語で行うことになり、事務手続きを含めて原則としてすべて英語で入学から卒業までできることになる。そのような事業を進めることは正気とは思えない、と酷評される先生もおられる。正気か狂気かは別にして、国際性を高めることは、京都大学が国際社会で生き残るための重要なテーマであることは間違いないであろう。

グローバル30の目指すところはいくつかあるが、目標としては次の3点をあげることができる。

  1. 国際社会で通用する人間力を備えた学生を人材として世に送り出す
  2. 国際連携を進めることによって大学の教育研究の質を高める
  3. 特にアジア・アフリカとの連携強化によって今後のこの地域の発展に貢献する

第1にグローバル30では、留学生とともに日本人学生も英語によって教育を行うことになっており、卒業後様々な分野においてリーダーシップを発揮できるような教育を行う必要がある。リーダーに求められる人間力として、一般に進取の気性(Pioneering)、バイタリティ(Vitality)、互恵性(Reciprocity)があるが、京都大学の学生において、互恵性はかなりあるが、進取の気性、バイタリティの点において、諸外国の学生と比べて見劣りするように思われる。その点を留学生と切磋琢磨する環境の中で涵養できればよいのではないか。

第2に外国人教員を多数雇用することになり、従来の日本人教員が大多数を占める環境から大きく変化することになるので、これが教育研究の質の向上に資するように期待したい。また、日本人教員の短期・長期の海外研修もグローバル30の中で認められており、この支援が教員の活性化につながるようにしたい。

第3に京都大学の場合、特にアジア・アフリカとの連携強化をうたっており、21 世紀に最も発展すると予測されるアジア・アフリカ地域の問題に関連した研究、教育の実施がこの地域の発展に大きく寄与するものと期待される。またそれが我が国の発展にも跳ね返ってくるものと考えられる。

一方、国際性の向上は、従来京都大学が持っていた高い水準の教育研究を損なうことにならないかという懸念を持たれる方もあるだろう。しかし、国際性を高めない場合のリスクとして、国際社会で通用する人材の育成が難しいということがあり、今後の国際社会における京都大学の進む方向を考えると、教育研究水準を高めながら、国際社会で通用する人材の育成を図る道を探るべきではないだろうか。

工学教育の将来

以上考えてきたことは、最終的に工学部・工学研究科の学生の教育に収斂していく。一体工学部・工学研究科はどのような学生を育てようとしているのかという問いに対して、答えはおそらく一つではなく、それぞれの先生によって異なっていることは当然であると思うが、私の考えは次のようなもので、ある程度の賛同が得られるのではないかと考えている。

  1. 倫理的に正しく、人と一緒に、人のために貢献できる
  2. 工学の専門分野の知識を十分に身につけるとともに、広い範囲の教養と視野をもって、社会のリーダーとなれる
  3. 国際社会あるいは国際ビジネスの場において、日本人としての自信を持ってリーダーとして活躍できる

第1に学生は、正しい倫理感を持った人間として育ってほしいし、人と一緒に、人のために働くことができるということは工学教育以前の問題として重要であろう。

第2に工学の専門知識を持ったエンジニアであるとともに広い範囲の教養と視野は、年を経るとともに重要性が増してくるものであり、特に京都大学の卒業生は会社や地域社会のリーダーとして期待されているので、当然要求される項目であろう。

第3に国際社会、国際ビジネスの場でリーダーとして活躍できる人材として、日本の精神的蓄積をもとに自信をもって外国人と渡り合える人材を輩出しなければならない。3つの項目は従来の工学教育の範囲から少しはみ出しているが、これからはこのような全人格教育でないといけないのではないだろうか。

おわりに

ここでは、工学研究科が工学を超えられるかというちょっと変わったテーマについて考えてみた。この点が今後の工学研究科の発展に大いに関係するのではないかと思い、問題提起のつもりで筆を執った次第である。すぐに結論が出るような問題ではないので、今後諸先生方のご意見をお聞きして工学研究科の進むべき方向について議論を深めていきたい。

(評議員 工学研究科副研究科長)