工学についての雑感

吉村 允孝

吉村 允孝2009年3月末に京都大学を定年になり、現在は、私立大学でお世話になっている。一旦リセットした状態で、より広い観点から研究対象を見渡し、今後もなんらかの貢献をしたいという希望をもっている。定年の前後には、最終講義、退職講演、同窓会での講演、学会での基調講演など、講演の機会が多くあり、その機会を活用して、自分のこれまでの研究などの歴史を振り返ると、様々な人との出会いが新しい研究のきっかけを与えてくれたことと、その後は自分の頭で自由に考えることが、研究の発展に必要不可欠であったと痛感している。すなわち新しい出会いがないと視野は広がらないし、飛躍もないことが多い。また他人の価値観に縛られることなく、自分の頭で考え行動しないと、独創的なものは生まれないと思われる。

日本におけるモノづくりの重要性は、しばしば議論されている。戦後、今日まで先人の努力と明確な目標のもとで、日本は物質的に豊かになった。そこでは、モノづくりに関連する工学などの学問が大きな働きをして、世界に冠たるモノを生産し、それらを輸出することで豊かになった。それにより豊かな生活を享受しているが、現在はそれが当たり前になり、工学の必要性や重要性の認識が薄れてきている感がある。これまでの豊かさに貢献してきたような技術を軽視し、新たな欧米に端を発する先端的な科学的な方向に投資するようになってきている。そのような背景のもとで、工学の姿が、最近、モノづくりを支え、それを牽引するものから、どんどんかけ離れていく様子を目の当たりにしてきた。一部の人はその姿に、日本の将来の発展はないと悲観的であるが、大多数の方は、現在の豊かさはあたりまえと考え、伝統的な工学の必要性・重要性に気づいていないようである。そこには、流行に流され表層的な安易な道へ多くの人を誘導する政策、マスコミ、風潮、世論などが関係していると思われる。そこで、本稿では、工学の重要性とこれからあるべき取り組みについて、これまで行われてきているのとは異なる、日本人としての特質を生かした姿の議論を試みる。

私は、卒業研究の折に、製造工学という伝統的なモノづくりそのものの研究室に所属し、工作機械のモーダル解析というハード的な研究を行った。その後、生産システム研究室に所属してモノづくりに関連するシステム的な研究を行い、その過程の研究において解析とシステムの両面の融合の必要性を学び、コンカレントエンジニアリングの揺籃期に種々の提案をした。さらにより優れたモノづくりには、多くの要因の統合的な評価が必要であるとして、新たなシステム設計最適化法を提案してきた。また人間の要因が大きく関係するとして、コラボレーションのあり方を議論してきた。

日本のモノづくりの展開は、工学ならびに産業の発展の原動力として西洋科学的な知識や技術をいち早く取り入れ、それらを目標にして、さらにはそのレベルを超える努力を推進してきたことが大きかったことは明らかである。そして、西洋に優るモノを多々日本から生み出してきている。その根底に、下記の三つの日本人の資質が潜在的に機能していたことを見逃してはならない。
(1)自然との調和の感性、(2)和して同ぜずの意識によるコラボレーション力、(3)対象を深層から解決する必要性を感覚的に知っていること。

これらのことは、東洋的思想として世界に誇れる思想であると考える。東洋思想では、人は自然の一部であると考えられており、それと対比される西洋思想では、人間を他人との対立関係としてとらえることが多い。“和して同せず”は論語にある思想であるが、人と争わず仲よくするけれども、自分の意見というものをしっかりもっていて、いたずらに妥協したり調子を合わせたりしないことを意味する。これと対比する西洋思想は、征服により勝者と敗者に分け、人を威圧して、屈服させ、従わせることを当然とする思想である。また東洋思想では、難局を乗り越える解決策を見出すには、壁を突き破ることが必要であるが、現在の知識や技術の枠の中で如何に邁進しても、あがいても、その壁は一般には破れない。壁を突き破るには、(自我を捨て去り)対象の深淵に臨み、奥深いところから解を見出す必要があるとしている。

このような東洋的な思想に対しては、人は胡散臭く感じ、科学的な裏づけを欠くという観点から忌み嫌う傾向がある。しかし、これらの東洋的資質は、これから世界が目指すべきモノづくりの実現に必要不可欠なものであると考える。環境への配慮、資源の有効活用、物質面ばかりでなく精神面でも豊かなモノの実現、働く喜びを共有する(モノづくりの喜びを共有する)こと、新たな有益なモノの創成を実現する上で、必要不可欠な資質である。

現在は、日本でもそれらの資質が、グローバル化の波に乗った西洋思想的な考えに翻弄されて、消えつつあるのが現状である。自然や周りの環境と調和しない建造物、粗悪なものの大量生産と大量消費を進める商売の姿、企業の当面の利益のために契約社員をどんどん増やし働く人を不機嫌な状態にして、健全なコラボレーションが消滅した職場、マネーゲームにより金がもうかれば良しとする世相、テロの発生に対して武力での安易な対応を良しとする政策、一時的に国民を喜ばすための定額給付金の配布のような表層的政策、やるべき困難な問題に挑戦する研究より、論文の書きやすい研究に流れる学者気質、サイテーションなど表層的数値での研究成果の評価を良しとする風潮など、モノづくりだけでなく、すべての行為に、好ましくない風潮が蔓延し、それらに無神経になりつつある。

私は、上記の三つの東洋的思想の中でも、コラボレーションのあり方が、他の思想をも包含するものとして、最も重要と考え、また、これからのモノづくりにおいても、経済の発展、物質的・精神的な豊かさを目指す上でも必要不可欠であり、それを科学技術的、論理的に支援する方法やシステムの構築をめざしたいと思っている。

コラボレーションの話をすると、それはきれいごとであり、競争がないと、発展がないという意見も当然存在する。その競争には、大きく二通りがあると思われる。その一つは、結果的に全体としての豊かさが小さくなる競争であり、“疲弊する競争”または争いである。戦争はその典型である。これは、世界全体を不幸にし、貧困をもたらし、人々を不機嫌にする。現存する財を奪い合い、他の人よりもより多くの豊かさを獲得するように行動する日常的な経済活動も、広い意味では、この範疇に属する。他の一つの競争は、全体としての豊かさを大きくしようとする個人間の競争である。それは、全体としての豊かさの最大化のために、そのコラボレーションのメンバーが貢献度を最大化するための競争をすることが上げられる。工学は、広い意味で、この全体的な豊かさの向上に貢献することが主要な目的の一つであると思われる。いわば“発展性のある競争”である。コラボレーションは、この発展性のある競争を支援し、全体としての価値や豊かさを最大化しようとするものであるべきと考える。

上記の議論からも、豊かさを本質的に実現するには、多くの学問のなかでも、工学が最も重要な働きをしていることは明らかである。当然、西洋的な科学技術の発展と活用は今後も必要不可欠であるが、それに上記のような東洋的思想をもっと取り入れた、モノづくり社会の構築に、日本はリーダーシップをとるべきである。モノづくりに対して新興国の追い上げに戦々恐々としている面があるが、表層上の知識や表面上の技術は簡単に真似ができるが、上述のような特質を実現するモノづくりのあり方は、真似ることは容易でない。日本がモノづくりのリーダーとして、好ましいコラボレーションの発生を誘発し、日本での物質的・精神的豊かさだけでなく、それを世界全体に次第に広げることを目指すべきである。

現在は、経済不況により不機嫌で不活性な人間を増やし、さらに、経済の牽引となるようなより優れたモノを生みだすことに、閉塞感がただよっているのも事実のようである。この経済不況は工学にも大きな悪影響を与え、優秀な若者を金儲けのよい分野に走らせ、有益なモノづくりから遠ざけている。いまこそ、工学が中心になって物質的にも精神的にも豊かな時代を築くための道筋を構築すべきであると考える。

(名誉教授 元航空宇宙工学専攻)