ところ変われば・・・?

橘 邦英

橘 邦英定年退職後、愛媛大学に採用され、ここ松山の地に来ております。しかし、実質的には京大でも数年後に始まる定年延長の先取りのようなもので、国立大学法人同士の間での移籍の扱いとなり、残念ながら(?)京大からは退職金を頂いておらず、2年後に愛媛大学で受け取ることになります。

さて、松山といえば、道後温泉と共に思いつくのが夏目漱石、正岡子規などの明治時代の文人の名前ではないかと思います。また、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の愛読者には、彼らと深く係わりのあった日露戦争時代の英傑・秋山好古と真之兄弟の名前も出てくるかも知れません。折しもその小説がドラマ化され、今秋からNHK で放映されるとのことで、楽しみにしています。

坊ちゃん先生ならぬ“爺ちゃん先生”として、実際に松山に来てみて最初に感じたことは、たいへん馴染みやすく住みやすい土地であるということです。いま住んでいるワンルームマンションは、城山の北側の学生マンションの林立する一角にあり、大学の研究室まで徒歩で7分程度、大街道(繁華街の中心)までは10数分、道後温泉でも20分余りで行けます。こじんまりしていて若い人には退屈かも知れませんが、私の世代には丁度足頃(?)の広さの街で、おまけに海の幸や山の幸に恵まれ、たいそう暮しやすい所です。また、京都ではとっくの昔になくなった路面電車が残されており、150円で乗れるのは懐かしく嬉しいことです。

もう一つの印象は、意外と若い人が多いのに加えて、女性の割合が高く元気がいいということです。この若い世代の人たちは、歩くよりは好んで自転車に乗るため、街中に自転車が溢れており、通勤通学の時間帯には、中国とまではいかなくてもオランダの街角のような雰囲気です。治安もよいせいか、夜遅くまで大学の構内やその付近に学生たちが行き来しており、中には男女が自転車に二人乗りして仲良く学生マンションに帰って行く姿も見かけます。家内の言を借りれば、それは、これまでの私の大学外での生活圏が学生さんの生活圏と重なっていなかったために、学生さん達の生態を知らなかっただけ、ということなのかも知れません。

着任早々には、新人教育のプログラムが2日間にわたって組まれており、学長による大学の理念の説明から、事務的な諸手続きの方法、学生さんへの対応の仕方等々について、新採用の事務職員やら助教の先生方に混じって、みっちり講義を受けました。新人教育といえば、35年程前に博士課程を修了して民間会社に入社したときに、数ヶ月にわたる教育を経験したことがありました。そのときはそれほど有難さがわからなかったのですが、後から思えば随分よく考えられたプログラムで、後々の参考になったことも少なくありません。とくに、故川喜田二郎氏(元東工大教授、京大出身)の考案によるKJ法とかグループでのブレーンストーミングの仕方などは、大学という職場では教わることは殆んど無いのですが、考えを整理したりプロジェクトの企画をしたりする経験の中で、極めて有効な方法であるということがわかりました。

脇道に逸れてしまいましたが、愛媛大学では、「地域にあって輝く大学」、「学生中心の大学」を理念の中に標榜しており、とくに、学習する側の視点に立った教育改革や環境整備に多大の努力をしていることがわかります。その具体的な例としては、教育・学生支援機構の中に多くのセンターが整備されており、カリキュラム開発や教職員の研修を積極的に行っています。ちなみに、現学長は京大理学部の出身で、魚類の生態学が専門の方ですが、前にこの機構の担当理事を務められ、その実績が評価されて学長に選出されたと聞いています。もちろん、京大にも同等あるいはそれ以上の機構や制度があると思いますが、図体が大きいためか、その意義や重要性が日々研究や実務に追われる教職員の末端までは浸透していないような気がします。

地方に来てみて、もう一つわかったことは、地方はむしろ東京と直結しているということです。松山から京都へ行こうとすると色々な方法はあるのですが、どれも利便性の点で今一です。しかし、東京の都心までは、航空機を利用すると、2時間半程度で行くことができます。また、松山-伊丹便は殆んどボンバルディア機ですが、羽田便では大型機が使われています。そのような視点では、全ての地方都市が東京と放射状に結ばれているように見えます。そのため、地方からは京都の存在が直接見えにくくなっているような気がします。NとSの二極の周りの磁力線のように、京都の存在を江戸時代か明治維新の頃の状態に巻き戻して復権させるべく、在職・在籍中の教職員や学生の皆さんには頑張っていただきたいと願っています。

大学教育においてそのような状況を復活するためには、京大における教育研究の特色を明確にして、それに引きつけられる優秀な人材を確保し、育成していくことが必要であることは言うまでもないことです。しかし、工学という学術領域において京大の特色は何であるかという課題には、なかなか明確な答えは無いように思われます。教育研究に個性を出すとすれば、方法論的なところではないだろうかということは、以前に工学広報に書かせていただいております(2006年10月46号)。その私見では、京大の教育は、自重自啓の伝統の中から、さりげない方法で多様な人材、とくに今日のような行き詰った状況を打破できる能力をもった人材を育てて行けるような、自己発展的で高品位の教育研究(多品種少量生産)のシステム構築と自然体での運用の必要性を述べています。

だんだん口幅ったい内容になってきてしまい、老境に入ったと失笑されそうですが、最後に少しだけ、これからのことを書かせていただきます。こちらでは、理工学研究科の中でプラズマ・光科学研究推進室という研究科長直属の組織を作ってもらい、関連する若手研究者の専攻横断型のプロジェクトを支援する仕事を、プレイイングマネージャーとして進めています。上述の「地域にあって輝く」という目標に沿って、工業だけでなく、農業・水産業・窯業などの地場産業におけるプラズマや光の新しい応用を開拓していくことを目指して、「オレンジプラズマ・フロンティアin 愛媛」という看板を掲げて、もうひと踏ん張りしたいと思っています。ちなみに、オレンジは愛媛の主要産物で、それに引っ掛けて命名しましたが、その心は Original Antecedent Generation of Plasmas というところです。またその宣伝に、Organization of Regional Activation Network for Glorious Ehime というキャッチコピーも作っています。いつか何処かでオレンジプラズマという言葉を見聞きされたら、ああ、あいつはまだ生きているのだと思っていただければ幸いです。

最後に、永年お世話になった皆様に深く感謝しますとともに、京都大学工学研究科のますますの発展をお祈りいたします。

(名誉教授 元電子工学専攻)