生きている建築

平田 晃久

hirata1建築が「生きている」などと言うと、失笑を買ってしまいそうです。

建築は自己複製しないし、生き物のように変化もしないように見えます。「生きている建築」というのはあくまで表現上の比喩に過ぎないのではないか、というわけです。

しかし、物事を見るフレームを少し変えたら、話は変わるかもしれません。私たちが知っている狭義の生命をはぐくんでいる世界全体が「生きている」のだとしたら。建築を含む人間の活動を、自然と対立するものとしてではなく、生きている世界の営みの一部としてとらえられるのだとしたら。そんな風に問い直すところから、21 世紀にふさわしい建築の姿が浮かび上がってくるように思えるのです。

たとえば、屋根が集積した風景と自然の山脈の航空写真を比較してみると、二つがよく似ていることに気づきます(fig1, 2)。実は似た形の背後には同じ原理が働いています。屋根は雨水を流すためにつくられる形であり、自然の地形は水が流れることによってできる形だからです。ある意味では、屋根は水の流れによってつくられたとも言えます。

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fig1;屋根の連なり

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fig2;自然の地形

同じような視点のもとでは、農耕や建築は、地表面の「ひだ」が増殖してゆく働きの一部のように見えます。人間という生物種は地表面を「発酵」させる「微生物」のような存在なのかもしれないわけです。個々の人間は高い知性を持って建築を設計していると思っているわけですが、別の水準でそれを眺めるなら、様々な流れが交錯する地表面のうごめきの一部なのです。生きている世界はタンパク質のようなミクロな世界から、森のようなマクロな世界まで、からまり合う秩序の織物のようであり、人間の営みも含めて全体が大きなうねりを成しています。最先端の科学やテクノロジーによって、人間は再びとても原初的な認識を取り戻しつつあるのかもしれません。

そんな時代の新しい建築のヒントは、案外身近な生物の世界に見つかる気がしています。たとえば海藻に絡まった魚卵のことを考えてみます。魚卵は海藻に絡まり、海藻は海底のでこぼこした岩に絡まり、その岩も地面の深層に絡まっています(fig3)。そこにはほとんど建築的と言えるような階層構造があります。それらが幾重にも重層し合って、生き生きとした豊かな世界ができているわけです。そういう、生きている世界の一部としての建築、もっというなら世界の「生きている」度合いを高めていけるような建築をつくりたい、と思っています。そのとき、新しい建築の原理は、次のような言葉で要約できるのではないか、という仮説を持っています。

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fig3;魚卵/ 海藻/ 岩のダイアグラム

「建築とは〈からまりしろ〉をつくることである」というものです。〈からまりしろ〉とは、様々な「もの」や「こと」がからまる余地という意味です。魚卵にとっての海藻、海藻にとっての海底の岩が〈からまりしろ〉です。建築も、同じようなものとして、自然物や植物のようなものとして、構想したいと考えています。

これまで建築家として、そうした新しい価値観でできた有機的な空間を、単純な方法でつくりだすことを目指してきました(fig4, 5, 6)。また、風や光のシミュレーションや構造の最適化手法を取り入れながら、「植物を育てる」ように建築を設計したりもしてきました(fig7)。

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fig4;「 sarugaku」東京代官山に建つ商業施設

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fig5;「 Tree-ness House」東京大塚に計画中の「樹木」のような建築

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fig6;「 Foam Form」台湾高雄ポップミュージックセンター国際コンペ二等案

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fig7;「 LEXUS -amazing flow-」風の流れのシミュレーション

大学においては、こうした試みに加えて、さらに広がりのある実験的なプロジェクトに取り組んでゆきたいと思っています。水や空気や熱や力の流れ、人の流れや様々なモビリティー、植生や生態系、社会的な関係性や記憶が絡まり合う場として建築を考えるとき、そこでの議論は単体の建築の問題を超え、都市や自然環境、様々な専門的領域に「からまる」ものにならざるを得ません。私たちの研究室の活動が、建築設計を通して、様々な領域の〈からまりしろ〉になることを目指したいと思います。

(准教授 建築学専攻)