「社会的ジレンマ」との出会い

宮川 愛由

miyagawa1研究者として京都大学に勤務するようになって早二年が過ぎました。それまでは、交通を専門とする研究所に7 年間務め、自治体の交通計画の策定や社会実験のお手伝いなど、多くの経験をさせていただきました。その間、現在所属する研究室の藤井聡教授と仕事をご一緒する機会も度々あったことから、学生時代と変わらない御指導をいただき、幸運にも、研究と仕事を分けることなく、文字通り、実践研究として学位論文をとりまとめ、京都大学で学位を取得することができました。その後、縁あって、現職に採用となりました。

着任後は、社会人とはいえ、昨日まで一学生だった自分が、突然、「先生」と呼ばれることに気恥ずかしさを感じずにはいられませんでしたが、そんなことはお構いなしに、学生から次々と投げかけられる質問に答えるために、日々論文や書籍を読んで勉強する毎日が続いています。

そんな私が、初めて教壇にたったのは、藤井教授の代講でした。テーマは、大学院時代に学んだ「社会的ジレンマ」。「社会的ジレンマ」とは、私的、短期的な利益と、公共的、長期的な利益が相反する状況において、協力行動と非協力行動の選択を迫られる社会状況をいいます。身近な例を挙げると、どこかへ移動しようとするときに、クルマを使うと楽で便利ですが、皆がそうした行動を選択すると、渋滞が起こり、結果的に皆が損をしてしまうというジレンマ状況をいいます。実は、大学院で藤井研究室の門を叩いたのも、この「社会的ジレンマ」に関する先生の論文を読んだことがきっかけでした。

その論文は、当時私が学部で学んでいた都市計画や交通計画の考え方とは大きく異なるものでした。そこでは、あらゆる社会問題の根底には「社会的ジレンマ」が潜んでおり、それを乗り越えるためには、制度やシステムなどの「構造」を変えるだけでは不充分であり、人々の「心理」に働きかけることが重要である、というメッセージが、様々な実証データに基づき、粛々と論じられていました。それは、人間が本来持ち合わせている「公共心」に対する信頼に基づく、温かいアプローチであり、それまで無機質だった都市や交通の問題が、突如、実態のある有機物のように感じられ、同時に、それまで漠然と感じていた土木計画に対する違和感が消えたような気がしました。

「社会的ジレンマ」の講義で学生に伝えたいことは明確でしたが、90 分間の講義の準備は予想以上に大変なものでした。講義を終えた後は、「もっと、こう説明すればよかった」、「内容を詰め込み過ぎたかも…」と、反省が尽きませんでしたが、伝えたいことの一部でも、伝えられたかもしれないと思うと、研究とはまた一味違った遣り甲斐を感じることができました。

現在の研究テーマは、身近な道路の安全性から、政治、経済問題まで、多岐にわたりますが、各研究の根底には常に「社会的ジレンマ」が存在し、それぞれに共通する課題は、如何に人々の「公共心」を呼び起こすか、という一点に集約されます。微力ながら、この課題に資する研究を、一つ一つ、積み上げていきたいと思います。

最後に、今回若手教員として、紹介記事を掲載いただく機会を頂戴しましたことに、関係者の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

(助教 都市社会工学専攻)