予告された報酬

名誉教授 辻 康之

辻 康之web.jpg 私が生まれ育った大阪では、「おもろい」は最高の賞賛の言葉である。「おもろい」は標準語では「面白い」に当たると考えられるが、意味は「おもろい」の方がやや広く、標準語の面白いに、「誰かの物まねではない」、「流行りでない」、「かっこいい」、「ユニーク」、「画期的」、「独創的」、「野心的」などの強いポジティブなニュアンスが(程度の差こそあれ)加わっていると思う(筆者の個人的見解です)。この「おもろい」はまさに複雑系であり、どのようなものが「おもろい」のかは、そう簡単にわからない。自分自身で、流行りではなく、真に重要なことをこつこつ研究を重ね、苦しみながら探し出す必要がある。そして、ついに何の報酬や名誉を求めるためではなく、「ただ、おもろいから、やってんねん」という至高の境地に達する。
 何かを始めるためには「動機づけ」が必要である。動機づけは、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」に分けられる。「内発的動機づけ」とは、ある活動の「内容」によって満足させられる動機づけであり、また、「外発的動機づけ」とは活動の「結果」によって満足させられる動機づけと心理学で定義される。人は内発的に動機づけされた場合は、活動自体を目的として、すなわち「おもろい」から、あるいは「自分がやりたいから」活動する。これに対して、外発的に動機づけされる場合は、例えば「報酬」のような何かを得るための手段として活動する。20世紀前半では、予告された報酬によりモチベーションが上がるとするアメリカの心理学者スキナーらが提唱していた行動主義が全盛であった。これが最近のグローバル企業などがその経営者に予告された報酬(給料)、それも桁外れの報酬を与える理由の一つとなっている。
 一方、アメリカの心理学者デシは、この予告された報酬が学習や創造性に与える影響を、パズルを被験者に解かせるという手法を用いて実験的に研究した。デシ等の研究によると、報酬を予告された被験者の作業効率は低下し、リスクを最小限に抑えようとしたり、あるいは質の高いものを生み出すための努力をするのではなく、最も少ない労力で多くの報酬を得ようとする傾向が明らかとなった。さらに、もし課題を選択可能ならば、リスクが高く挑戦的な課題ではなく、多くの報酬がもらえる課題を選ぶようになったという。すなわち、報酬(アメ)は人の創造性を高めるためには無意味であるどころか、むしろ害悪となると主張している。では、一方のムチはどうか。心理学の立場からはムチも全く効果的ではないと結論された。つまり、人がリスクを冒して創造性を発揮するためには、アメもムチも有効ではない。そのような挑戦が許される風土が必要なのである。さらにそのような風土において、人が勇敢にもリスクを冒すのはアメが欲しいからではなく、またムチが怖いからでもなく、ただ単に「おもろい(自分がそうしたい)から」なのである。
 心理学研究のさらなる研究により、上述の内発的動機づけを損なう予告された報酬は、「物的」な報酬にその抑制効果が顕著であることが明らかにされた。しかし、"That's very good" のような褒め言葉などの「言語的」な報酬は、そのような抑制効果は認められなかった。先週、中国大連の大学を訪ねた。大学院生は、ほぼ全員が返却の必要のない給付型の奨学金を受けており、ほぼ全員が大学キャンパス内の安価で快適な学生寮に入居している。さらに社会からの多くの応援と期待を受けているという。一方、我が国では昨年度の科学技術白書において、中国などに対して相対的に日本の科学力が低下していること、また将来の不安定さや経済的負担などから大学院博士後期課程に進学する学生が減少していることなどを指摘している。
 ある生命保険会社が昨年発表した「大人になったらなりたい職業」(男子)の第1位に「学者・博士」が15年ぶりにトップに返り咲いたそうである(調査対象:全国の未就学生徒および小学生 1100名:女子の第1位は「食べ物屋さん」)。「学者・博士」は、今、子どもたちのあこがれの対象である。しかし、本学工学研究科の博士後期課程定員充足率は残念ながら、ここ最近ずっとさほど高くはない。小さな子供たちが持っている「学者・博士」になりたいという内発的動機を男女ともさらに大きく育みたいものである。そのためには、大学では、「おもろい」挑戦を最高の環境で心わくわく「心のままに」できるのだよという、物心両面からの暖かい「予告された報酬」を示すことが必要なのかもしれない。

(名誉教授 元物質エネルギー化学専攻)