面倒くさい人間であること

名誉教授 富田直秀

富田先生「質」を育てるアート教育
 筆者は,京都大学機械理工学専攻の教員を2021年3月に退職いたしました。長い間,本当にありがとうございました。現在は,京都市立芸術大学の客員教授として,アート・サイエンス教育,特にアートの視点を科学・技術に生かすための様々な経験を重ねています。工学研究科に在職中は医療工学,つまり工学を医療に生かす仕事をしていましたが,そうですね,約10年前に妻が医療事故で死ぬ直前のところまで追いやられたことが,筆者がグレはじめたきっかけでありました。どうして事故は起こったのだろう,そうしてその医療はする必要があったのだろうか,などといろいろと考えをめぐらしていると,そもそも現在では医療に限らず多くの物事が「他人事」に行われていることに思い至ったわけです。しかし,これは「グレた」考え方だと思います。医師は検査や治療の危険性をきちんと説明しますし,それを承知の上で本人が承諾したからこそ医療行為が成立しているわけです。また,もちろんのこと医療も技術開発もいいかげんに行われているわけでは決してありません。
 けれども,もう少し話を広げて,技術が本当に役に立つためにはどうすればいいのだろうか,と考えてみます。たとえば,社会経済評価では,できないことをどれだけ「できるようにするか」といったことを基本的な目安として効用値などを算出します。筆者も,この「できる」を目指して様々な開発研究を行ってきました。ただ本当の豊かさのためにはそれぞれの多様な感性に立脚したアートの視点が重要であって,愛着,安心といった「質」を育てるアート教育が科学・技術に必要であろう,と思い始めたわけです。

情報化社会と身体性
 GAFAの躍進に象徴されるように,産業はモノつくりから情報化された「コト」に大きくシフトしつつあります。けれども,だからこそ情報化され得ない「身体性」の「コト」への特別な理解が「質」の維持のために必要なのだと思います。アート分野には,それぞれの身体感覚を研ぎ澄ませて感じ取ることによって,「質」や「愛着」を育てる方法論が在ります。筆者がアーティストたちとの交流の中で経験した「質」の育成例に関しては文章等にも残していますので,文末の索引をご参照ください。ここでは,本年度初めから筆者が京都市立芸術大学の美術学部の新入生とともに総合基礎科目を受講している体験をご紹介したいと思います。
 この授業は,初っ端から筆者の常識を覆しました。たとえば,作品が完成するためには「計画性」「柔軟性」「客観的姿勢」が必要なのですが,同時に,それらとは矛盾する「うろうろしろ」「こだわれ」「ナルシストになれ」といった要求も出されます。また作品の提出では,「提出締め切りだからと言って適当なところで完成させるのは絶対にだめ。未完成でもいいから質を落とさないこと」と釘を刺されます。さらにグループ制作では,他人に妥協することなく「もめる」ことも要求されます。つまり,いわゆる「面倒くさい人間」になれ,と囁かれているわけです。
 ある課題において,私たちの班は図1aのように芸大生の部屋を作って芸大生らしさを考えてみることにしました。1週間ほどで企画・制作をして合評会にも備えなければならないため,効率よく作業を進めなければならないのですが,芸大生たちはこの空間のサイズを210㎝ 四方と設定しました。制作に使うべニア板の大きさは 180×90㎝ ですので,210㎝四方空間の制作のためには,相当に無駄な木材と加工が生じるわけです。また,芸大生の部屋を作って芸大生らしさを考えてみるのが目的でしたので,床は簡単な構造,たとえば地面にシートを敷く程度でもいいはずなのですが,彼らは木製の床を作ることにこだわりました。

図1a
図1a

 図1bは,壁を裏側にしてみた図です。案の定,木材を何度も切りなおし,また,壁や床の強度も弱いため,いわば,行き当たりばったりの補強構造が出現することとなりました。

図1b
図1b

 そうして,この空間によって生じたのは,図1cのような光景でした。班内外の学生ばかりではなく,指導する教員も,ここを通りかかると気持ちよさそうな床に寝転がって動かなくなってしまうのです。この,大の字に寝ることができる床の広さ,地面より高い位置であることの安心感,一様ではない床板の感触の心地よさ,漂う微風と周囲の人の声…,筆者も何十年ぶりかに感じることができた解放感でした。もし,制作の初めにおいて筆者が合理性や利便性を強く主張していたならば,議論においては筆者が勝っていただろうと想像します。しかしその場合,この不思議に心地の良い空間は出現しなかったわけです。

図1c
図1c

 この例のみから,アート・サイエンス教育全体を判断するのは軽率であるのですが,もし,サイエンス側が「計画性」「柔軟性」「客観的姿勢」のみを主張して,うろうろし,こだわり,時にナルシストであるアーティストの行動を制限したならば,愛着,安心といった「質」が育つ環境は得られないのではないだろうか,と,この例からも想像しています。
 筆者個人の実感では,アート教育、つまり、それぞれの身体感覚を研ぎ澄ませてみる経験が科学・技術に必須であることは疑う余地がないと思います。さらに,科学・技術側がその合理性にも疑問を持ってみること,また「面倒くさい人間」を排除しないこと,できれば,自身も「面倒くさい人間」になってみること…,などなど,アート教育がアート・サイエンスの双方にとっておもしろく,持続的であるためには,受ける科学・技術側の姿勢にも覚悟が必要であるなあ,と強く感じています。

(元機械理工学専攻)


参 考
1.富田直秀最終講義「最適化・デザイン・アート」,京都大学OCW, 2021,
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/course/969/

2.富田直秀,森川健太郎「社会に『質』なる目標を与える『型』(Art-Science Link Worker:実感する実践者たち)」, 日本哲学史研究,in print

3.京都大学×京都市立芸術大学「ANSHINのデザイン」2013 ANSHIN CONCEPT BOOK,2014,
http://anshin-design.net/link/anshin_concept_book_2013.pdf 

4.富田直秀「第11章 正常な狂気―法則から逸脱して不連続を乗り越えるアート視点」,未来創成学の展望─逆説・非連続・普遍性に挑む,ナカニシヤ出版,2020

5.富田直秀「「奥行きの感覚」を求めて -美術をめぐる新たな鑑賞と実践-」, 「奥行き」を求めだした科学・技術,京都市立芸術大学,2021

6.富田直秀×塩瀬隆之「京都からアート×サイエンス・テクノロジーを考える」, 「STEAM THINKING―未来を創るアート京都からの挑戦 アート×サイエンス LABOからGIGへ」,KYOTO STEAM―世界文化交流祭―実行委員会,2020,
https://kyoto-steam.com/2020/img/pdf/program/event03_pamphlet.pdf

7.富田直秀「すき・きらい・SUKIる(命令する行為と発見するしぐさ)」, デザイン学研究特集号「QOL+(プラス)」を考える,Vol.26-1 No.99,一般社団法人 日本デザイン学会,P6-14,2019

8.富田直秀「SUKIる学の教室:「できない」から「できる」んだ」, もっと! 京大変人講座, 酒井敏 編,三笠書房,2020