大学3年の夏

副研究科長 岸田潔

岸田先生 最近,「何故工学を選んだのか。どうして今の研究を行っているのか。」という問いかけがありました。その時,大学時代の事を振り返ったので,その一部を紹介させていただきます。

大学3年の夏
 大学3回生の時,学外実習という科目を履修しました。夏季休暇中の3週間から一月ぐらい現場に行って,与えられた課題を行い,その内容を大学に戻ってレポートとして提出し,口頭試問で認められれば2単位が得られるものです。この実習科目は,20人から30人ぐらい履修するもので,担当の先生は苦労をして現場を探してくれていました。当時は,建設省,運輸省,公団,鉄道会社など発注者側しか実習先がありませんでした。同級生の多くは,北海道や東北の涼しい実習先を希望していました。私は,最初希望していた実習先が,抽選で外れたため,この実習科目の履修をあきらめていたのですが,当時担当しておられた先生から「山科の道路公団の事務所で実習ができるが,行きませんか?」と電話がありました。1,2回でのんびりしていた私は,少し単位が少なく,「是非,お願いします。」という返事をしました。この電話がなければ,私は違った道を歩んでいたかもしれません。
 小学校から始めたバスケットボールは,中学・高校ではそれなりの戦績を残したので,やり切ったという思いと,いやまだまだという思いが交差しながら,大学に入ってきました。先輩のアドバイスを無視し,体育会を離れクラブチームに籍を置いたのですが,自分に対する甘えもあり,バスケットボールも中途半端,勉学もそれほど身の入らない1, 2回生を過ごしました。今から思うと,充電期間であったのかもしれませんが,ややすさんでいた感じがしますし,もったいない時間だったかもしれません。
 当時は,3回生から本格的な専門科目の履修が始まりました。1,2回生での専門科目は少しありましたが,ほぼ,高校の延長の難しくなった数学や物理の単位を取るだけ,という感じで恥ずかしながらあまり講義には出ていませんでした。このことは,後になって「しもたな。もう少しまじめにやっておけばよかった。」という事になります。1,2回生で印象に残っているのが,2回生の土木工学総論でした。「これからこういうことを学んでいくのか」ということを実際のダムなどの構造物を例に挙げて説明して下さいました。「ぼちぼち勉強しないと」,という意識を持たせてくれた科目でした。
 学外実習で取り組んだことは,当時建設を行っていた湖西道路の雄琴地区での地すべり計測です。湖西道路のように山地部において地盤を掘削し高速道路を造っていくと,道路の両サイドに斜面ができます。琵琶湖は,大昔は今よりは水位が高く,建設地点は湖面より下にあったとされています。したがって,地すべり・斜面崩壊が発生しやすい,という事で計測が行われていました。週1回,午前中,体に20mほどのケーブルを巻き付け,計測器を担ぎながら11か所のボーリング孔で傾斜を計る作業でした。暑い中,蚊取り線香を腰にぶら下げ,機材を担ぎながらの山歩きは,なかなかタフなものでした。午後からは,それをコンピュータに入力し,図化して提出する作業がありました。充実感はありました。
 実習開始後2週目の週末に大雨が降り,計測してた斜面が崩壊しました。幸い人災は出ませんでした。地すべり地帯の対策がなされていたので,被害の拡大は防げましたが,崩壊そのものは防げませんでした。対策協議のミーティングに参加して,資料作りを手伝いました。新たな実習課題が増えた感じです。3回生ですから地盤材料の物性については学んでいましたが,斜面安定までは学んでいません。教科書を見ながら議論に参加していました。正確には,習っていないところの教科書の内容がわかるわけがなく,会議で出てきた言葉がどこに載っているのかを探していただけです。全くの戦力外。「本当に地盤は動くんだ。」「地下水も考えなければいけないのだ。」「地質構造?」,これらの事は,強く印象に残りました。道路公団の皆さんには悪いのですが,実物大の実験を見ることができ,いい経験だったと思っています。

地盤工学を選ぶ
 実習を終えて大学に戻り,友人と「地盤系の研究室,施工研究室に行こう」という事になりました。友人も実習で地盤を扱う課題を行っていました。私は3回生の前期で主要科目のうち唯一地盤系の科目だけ単位が取得できておらず,あえて単位取得のできていない地盤系の研究室に進んで,勉強しなおしたいという事も考えていました。正直にいえば,単位取得に有利だろうという甘い考えも持っていました。しかし,大きなきっかけは,3回生の夏に斜面を計測し,その斜面が崩壊したことで,それがなければ地盤系の研究室に進もうとは考えなかったかもしれません。
 中学・高校時代は,バスケットボールが支えでした。ただ,大学に入ってそこからドロップし,また,勉強にも身が入っていませんでした。単に単位さえ揃えればいいかと思っていた自分に,まだちょっとしか学んでいない地盤工学を「おもしろそうだな」と気づかせてくれたのは,この実習科目とその時の斜面の崩壊です。災害を「おもしろそうだな」と感じることはよくないことかもしれませんが,なんとなく「わくわく感」があったのは事実です。
 研究室に入ってからの経緯もあるのですが,結果として大学に残り,地盤,特に岩盤に関する研究・教育に携わっています。余談ですが,まだ,バスケットボールも続けています。バスケットボールに関しては,やり遂げた感は全くなく,心に残る負けた試合の反省とまだ伸びるのでないかという幻想が,私をコートから離れなくしています。家族は呆れています。
 トンネル,ダム,斜面等を建設するための技術委員会や維持管理の委員会に参加しています。これらの委員会では,出来る限り現地に赴き,実際を見るように心がけています。現場は,同じ斜面,同じ地山のトンネルはなく,それぞれが固有の構造物になっていきます。新たに気付くこと,何とかしなければいけないこと等,直接現場を見ないと不十分です。また,何とかしないといけないことに対して,大学などで考えていることが実装できるのか,と言った議論も現場を見てからでないと十分に行えません。現場を見れば,今でも大なり小なり「わくわく感」があります。一方,災害が発生した斜面,掘削に行き詰っているトンネル等の現場に呼ばれると,どうしても最初に議論をしなければならないのは,地形・地質になってきます。どのような現場を訪れても毎回感じるのが,「地学を勉強しておいたらよかった。」ということです。先に述べた「しもたな。もう少しまじめにやっておけば。」が,これに当たります。これは,私の個人的な問題かもしれませんが。

私が思う工学
 様々な分野で構成される工学は,それぞれの分野によって研究や教育の方法に違いがあると思います。一方で,研究成果や学んだことは,社会に実装されるべき,という点は共通の事項ではないかと思います。自分たちの分野でどのような問題が起こっているのか,何を学ばなければいけないのか,そういったことに気付くこと,気付いて自ら学ぶべきことを見出す事が大切ではないかと思っています。また,そのようにして学んだ人材を社会に送り出すことも,幅広く考えれば工学の社会実装かもしれません。
 仮に私が3回生で経験した実習科目が,1回生か2回生での履修であったならどうなっていたのか。気付いて地学を学んでいたのだろうか?よくわかりません。現在も実習科目はあります。数年前にその科目を担当しましたが,なんとなくちょっと企業を訪ねて企業や業界を知る,というような科目になってきているような感じがしています。私が学生の頃と社会の状況も異なり,社会や学生のニーズに対応しながら実習科目は続けられています。誤解をしているかもしれませんが,何となく就職に関連したインターンシップのようにも感じ,「この分野,おもしろそうだな」と感じる学生が出てきにくいのではないかと思っています。閉塞感があるように感じます。
 「なんとなく上手くいっているから,いいだろう。」という考えは,確かに安定しているときはいいのかもしれませんが,新たな何かを気付くことは少ないと思います。実習科目を思い切って1回生にするとどうなるでしょうか?もちろん,「まだ,右も左もわかっていないのに」という声は上がるでしょう。一方で,1回生で自分の入学した学科の魅力を発見し,「おもしろそうだな」と感じる学生が出てくるかもしれません。何が正解かはわかりません。ただ,踏み出さなければ,良し悪しはわからないと思います。社会実装を目的とする工学として,時代が変化する中で「どのような人材を輩出するのか」は実践しながら進めていく必要があると思っています。

最後に
 何が言いたいのかもう一つはっきりしない文章をだらだら書いた気がします。私が履修した実習科目が,その後の私の人生の歩みに影響したことは確かです。単位が少ないからという不純な動機で履修した科目ですが,私にとっては2単位以上の価値があったと思っています。斜面の崩壊を直接見て,「これから学ぶことが災害を防ぐ事になるのだ」ということを,崩壊のメカニズムも地質の事もわかっていない一学生が何となく気付くことができたのは,現場に出て実際に触れた,という刺激があったからだと思います。
 3年前に亡くなった恩師のコンピュータの中に「トンネル雑感」という書きかけのファイルがありました。「現場主義に徹して,迷うことなく新技術を挑戦せよ。」という言葉がありました。トンネル現場で目まぐるしく変化する地質に触れながら,刺激を感じつつこの言葉をかみしめています。「あの時もう少し勉強しておけばよかった」という永遠に継続される反省と共に。

(都市社会工学専攻 教授)