粉体工学とともに

名誉教授 松坂修二

松坂先生 令和6年3月に京都大学大学院工学研究科化学工学専攻を定年退職した。この機会に,過去を振り返りながら現在の思いを記してみたい。

原点
 昭和33年に広島で生まれ,基町で育った。この場所は,広島城,県庁,図書館,美術館,体育館などが建ち並ぶ市内の中心地である。戦前には軍の施設があり,広島県産業奨励館(いわゆる原爆ドーム)にもほど近い。しかし,振り返ってみると戦後10年以上経過したときでさえ,近所に焼け焦げた塀は残っていたし,川沿いには無秩序に建てられた小さな家がたくさんあった。昭和40年代は,復興に向けて公営アパートの建築が急速に進められた時期であり,木造の住居は撤去され,雑草が茂る空き地は子供たちの格好の遊び場になっていた。河川敷が整備されて市民の憩いの緑地になったのは,ずっと後のことである。当時は,自ら考えて行動しなければ何も生まれなかった。近隣の町との格差は明らかであったが,そこには時間的にも空間的にも多くの自由があった。
 子供の頃に経験した図画工作の時間は楽しかった。学年が進んで美術と呼ぶようになっても創作の楽しみは続いた。抽象的であろうが前衛的であろうが様式には関係ない。色彩,濃淡,形状,サイズなどの組み合わせと配列によって何らかの妙があればそれでよかった。理科の授業も楽しかった。受けた授業が特殊だったのかもしれないが,考える時間が十分に与えられていた。それは,実験の観察結果について仮説と考察を繰り返しながら正解に近づけていく方式だった。重要なのは発想力であり,論理的思考も少なからず要求されたと思う。芸術と科学は,一見すると大きく違うように見えるが,共通するところもある。芸術家は作品を仕上げる過程で無意識に論理的に考えているし,科学者は仮説を立てるときに直感を大事にしている。
 学年が上がると,文系と理系の選択を迫られる。芸術が文系というのは安易な考え方かもしれないが,最終的には理系を選んだ。物理も化学も楽しかった。強いて言えば視覚的変化が大きい化学に惹かれて地元の大学に進学した。既に漠然とした将来像として,プラントエンジニアを思い描いていた。岩国・大竹に石油コンビナートがあり,その夜景を何度も目にしていたからかもしれない。巨大な装置を結ぶパイプラインの幾何学的な美しさとフレアスタックに異次元の魅力を感じていた。

粉体工学との接点
 物質の三態は,言うまでもなく気体,液体,固体である。化学工業で固体と言えば,比表面積の大きさを利点とする粉体である。気体や液体が連続系であるのに対して粉体は離散系であり,個々の粒子の不均一性から生じる特性に面白みを感じていた。粉体を原料とするファインセラミックスや機能性製剤がニュースで取り上げられるようになったのもこの頃である。
 大学の卒業研究は,液相流動層の動的挙動に関するものであり,粒子には関係していたが,粉体工学ではなかった。修士課程に進学するときには,粉体をより真剣に考えるようになり,理論解析で著名な増田弘昭先生に傾倒して研究室に入った。最初の面談で,エアロゾル粒子の分級に関する数値シミュレーションのテーマを提案された。その数日後には微粉体の再飛散現象の解明に変更する方がよいと言われた。分級は先行研究で理論がある程度まで確立していたが,微粉体の再飛散は粉体ハンドリングにおいて粒子沈着後の重要な現象であるにもかかわらず,多くの要因が複雑に絡み合っていたため基礎研究が遅れており,先駆的研究を行うことに意味があるとのことだった。また,沈着は粒子の動的挙動に支配されるのでエアロゾル工学の領域に入るが,再飛散は粒子の表面特性および粒子間相互作用力の影響を強く受けるので粉体工学の領域であり,博士課程の研究としても継続できるということだった。
 実験装置は自作が当たり前の時代であり,設計,資材の調達,加工,組み立ての一切を任された。設計では,データ取得時の操作性を重視する必要があり,発想力を活かせるところに面白みを感じた。製作した実験装置の一つはマイクロスケールの物理現象を観察するためのものであり,もう一つは現象を定量評価するために静電気を利用するものだった。学生の私には,現象の観察は定量評価に比べて学問的に下位に感じられたが,支配因子を抽出して機構を解明していくには,詳細な観察が何よりも大切であることを教えられた。気相乱流下で粒子の再飛散現象を録画しては,スロー再生を繰り返して再飛散フラックスの経時変化を求める作業は地味であったが,研究を進める上で本質的な考え方が身に付いたと思う。今の時代なら,市販の動画解析ソフトを使って容易にデータを取得できたかもしれない。しかし,それでは大事なものが見えなかっただろう。

企業に就職
 修士課程を修了し,以前から考えていたエンジニアを希望して企業に就職した。配属先は原子力関連を扱うエネルギー事業本部であった。この種の知識を持ち合わせていなかったが,大いに興味をそそられた。所属部内では,原子力発電所から発生する低レベル廃棄物の固化処理施設の設計,製作,試運転に携わる人が多かった。一方,私は使用済み核燃料の再処理関連であり,流体系分離操作を主とする化学工学の領域の研究開発であった。企業に在籍した6年間のうち,最後の2年間は東海村の動力炉・核燃料開発事業団に場所を移すことになった。使用済み核燃料の溶解槽のメンテナンスエリアにも入り,多くの会社の人と協力して,将来行わなければならない解体・撤去のための技術開発やホット試験の準備を行った。エンジニアを目指して就職したが,研究開発に特化した仕事が多かったため,職種の選択に迷うことになった。

化学工学教室に着任
 平成元年に恩師の増田弘昭先生が京都大学に配置換えが決まったとき,助手として採用される機会に恵まれ,大学での研究に専念することになった。企業で得た経験は貴重だが,各種装置の設計では非常に苦労したことを覚えている。専門書や論文に記載されている内容では,設計に必要な情報として不十分であり,大学の基礎研究の成果と実務の設計との間の溝を埋めていく必要性を強く感じた。分野によって程度の差はあるが,工学系に属する限り,シーズを提供する大学であっても,産業を視野に入れて研究を進める必要がある。大学の研究室の成果が学術誌に掲載されて他の論文に引用されれば,学術として意味はあるが,適切な時期に社会への還元に至ることが,工学の本来の貢献と考える。大学における研究の方向性および課題の決定に対する責任は重い。化学工学は,化学系の中でも産業と密接に関係するので,この点を重視すべきだ。

研究の視点
 粉体を原材料として扱う場合,粒子径,粒子形状,粒子密度,表面性状などの物性を整えることは大事だ。しかし,これらの要求に対して完全に応えようとすると極めて高価なものになり,工業製品としては成立しなくなる。すなわち,粒子の物性には一定の分布があり,粒子の集合体である粉体の仕様には,統計的概念を持たせて評価することが重要だ。
 粉体関連企業にとっては,非現実的な理想条件で得られた情報を示されても実用化への道は見えてこない。粒子の物性に分布が存在することを前提として対応できる技術を示す方が役に立つ。また,粒子径,粒子形状をはじめとする多くの物性は複雑に粉体ハンドリングに影響するので,各物性の情報を収集するだけでは操作条件を適切に決められないことも理解しておく必要がある。付着性,流動性,帯電性など,現象を数値化した特性に対して,平均値ではなく分布を評価する技術が望まれる。粉体に関わる製品の高機能化のために,一般論として粒子径をナノレベルまで小さくする要求は強いが,粉体の特性評価とハンドリングは極端に難しくなる。
 粉体に関する研究で大事なことは,人の目線ではなく粒子の目線で現象を捉えて,特性評価と単位操作の両面から解決策を探ることだ。これまでに,ナノ粒子,繊維状粒子などの難流動性粉体の特性評価法,精密定量供給に適用できる振動せん断流動法,振動誘発型吸気による気泡流動層などを開発してきた。また,接触帯電,誘導帯電,低温プラズマおよび光電効果による粒子の帯電制御と外部電場を用いた帯電粒子の浮揚・気中分散,瞬時混合などの遠隔操作法を開発してきた。次世代の粉体操作として,温度,圧力,光,電場,磁場などの外場を巧みに利用する技術を確立すれば,既存の産業だけではなく宇宙開発などの近未来型産業にも活かせる。

展望
 機能性粒子を創製するために行われる基礎研究は重要だが,産業として成立させるためには,粉体の特性評価と単位操作の開発が要になる。化学あるいは理学として行う研究と化学工学として行う研究の違いを踏まえて,学術と社会に役立つ研究が発展的に進むことを期待する。

(化学工学専攻 2024年3月退職)