桂キャンパスの青と紡ぐ京都大学の濃青

副研究科長 阪本卓也

 みなさん,桂キャンパスの空を見上げてみてください。この原稿を執筆している現在,ここ桂キャンパスでは爽やかな木々の新緑が心地よい風に吹かれ,プロムナードには色とりどりの花々が絢爛に咲き誇っています。さて,2025年度より副研究科長を拝命し,工学研究科執行部にて運営に携わっております。学部生や他キャンパスの学生たちと話をすると,なぜだか桂キャンパスに対して否定的な印象を持っていることもあり,驚きます。京都市中心部から遠いことや,近くに飲食店や買い物ができる場所が少ないといった意見も耳にしますが,桂キャンパスの魅力を熱く語るのが使命だと感じて私は必死です。ところが実際に桂キャンパスを訪問した学生の多くは桂キャンパスに対する印象を非常にポジティブに変えるようで,その反応を見るとホッとします。
 桂キャンパスの素晴らしい点といえば,まず,なんと言っても,世間の喧騒から離れて研究に没頭できる静謐な環境です。美しいデザインと構造が織りなす,洗練された建物群や遊歩道の姿は,私たちの心に潤いを与えてくれています。なかでも,夕暮れ間近のプロムナードを歩くひとときは格別です。青の余韻を抱きながら夜空へと移り行く夕暮れ,この時を楽しむのに,これに勝る美しい場所はほかにありません。また,そこから一望できる京都の街並みも昼夜を問わず絶景です。夕暮れ以外にも,刻一刻と変わる雲の形やそこに差し込む日の光が空にグラデーションを彩る姿も見事です。さらに,夜空に星々が輝く様子もひときわ印象に残ります。これほど空や景色を堪能するのに適した場所はなかなかないでしょうし,そんな景色を見ながら教育・研究・運営,京都大学の将来について思いを馳せる時間は,桂キャンパスを本拠地とする一人として誇らしいものです。
 さて,このような静かな環境は,学問に携わる私たちにとって不可欠な「集中力」を引き出す上でも,重要な役割を担っています。ドーパミンは集中力の鍵となる神経伝達物質として知られ,脳の前頭前野に適度なドーパミンが分泌されるときに集中力が高まるとされます。たとえば新しい刺激があるとドーパミンが分泌されますが,刺激過多の環境では情報を取り入れるたびにドーパミンが少量ずつ分泌されることにより報酬感が得られ,それに依存してしまいます。これは人類の進化の過程で獲得された生存戦略ですが,この状態が続けば,長時間にわたる集中は困難になります。この罠を抜け出すためには,長期間かけて得られる大きな成果を目指し,一歩一歩進むプロセスを習慣にする必要があります。この方法だと,途中経過ではドーパミン分泌があまり無いのですが,最終的に大きな成果が得られたときに大量のドーパミンが分泌され,深い達成感に至るわけで,それを学習すればより長期のプロジェクトに取り組む底力が獲得できるのです。このように静かな環境で自分の内側に向き合えば,目の前の小さな達成感に捉われず,長時間の集中が可能になるのです。私も,課題解決のためのアイデアを練っているときには,桂キャンパスの研究室の窓から青い空にポカンと浮かぶ小さな白い雲をみると,考えがすっきりと研ぎ澄まされたような感覚があり,見通しが立ったり,まったく新しい方向性が見えたりすることがよくあります。
 こうした集中力の源泉について,私たち人類の進化を遡って見てみましょう。400万年前,アフリカの森林に現れたアウストラロピテクスは果物を食べていました。しかし,300万年前ごろに始まった乾燥化により森林が草原になってしまい,食物の確保に苦労しました。やがて250万年前,ホモ・ハビリスが登場します。彼らは果物に加えて肉も少し食べるようになり,肉を切るのに便利な石器を使い始めますが,火はまだ使えなかったので焼いて食べることはできませんでした。そして180万年前に登場したホモ・エレクトスは火を使って肉を焼き,肉食が加速。ついに20万年前に誕生した私たちホモ・サピエンスは調理された肉の栄養によって,特に集中力や計画性に不可欠な前頭前野を含む脳を著しく発達させ,それまで以上に狩猟や石器加工に集中を発揮し始めます。さらに7万年前には言語が発達し,人類は抽象的な世界への集中力を見せ始め,1万年前からは農作業,18世紀の産業革命以降は工業生産へと,集中のかたちが次々と変化し続けてきました。そして現代では膨大な情報が飛び交う刺激の海を泳ぎ続けながらも集中することが求められる時代になりました。このような時代の流れを改めて考えると,これからも変化が続く世界のなかで,いかにして自分の集中力を維持するのか,まわりからの刺激をどう処理して自らの基本姿勢を保つのかを考えないといけません。そのための基本的な考え方は,流行に左右されずに本質的に価値のあるものを大切にしよう,ということに尽きると思います。京都大学工学部アドミッション・ポリシーにも「自由の学風」の下で,「学問の基礎を重視する」と明記されており,要するに流行り廃りに左右されがちな表層的なことに惑わされず,背後にある基礎理論など,普遍的な構造を主軸にし,深い学理に到達しようという姿勢です。これこそが答えでしょう。
 流行に左右されないといえば,日本には,万葉集や古今和歌集のように,千年以上にわたって受け継がれてきた文学があります。それらが今も人の心を打つのは,そこに時代を超える情緒があるからであり,世の中がどれだけ変わろうとも時代遅れにならない「基礎」の代表といえます。

  東の 野にかぎろひの 立つ見えて
  かへり見すれば 月傾きぬ
  (柿本人麻呂)

 この歌が詠まれた697年の数年前に朝廷は既に藤原京(奈良県橿原市)に移っていましたが,その前は100年ほどにわたって政府の中心は飛鳥にありました。飛鳥は奈良盆地の南の端の奈良県高市郡明日香村にあり,近鉄吉野線の飛鳥駅は大手私鉄で,村にある唯一の駅とのことで,のどかな場所ですが,当時はかなり活気のある都会だったことでしょう。その飛鳥から東に10 kmほど山奥にいくと,当時のレジャー地区であった阿騎野(奈良県宇陀市の南の端あたり)が現れます。“阿騎野の地において,早朝に空を見れば,じわじわとまばゆい曙が地平線から姿を現すなか,振り返ってみれば,西の空には年の瀬の澄み切った冷たい月が沈みゆく”。この前述の歌はまさに広い大空を満喫できる桂キャンパスで早起きして味わいたい歌です。ところで,ここまで空と時とともに追いかけてきた「青」の中に,京大のスクールカラー「濃青(のうせい)」があることに,みなさん,お気づきでしょうか?
 ご存知の通り,私たち人間の網膜には3種類の錐体細胞(L,M,S)が存在します。L錐体は主に赤色,M錐体は緑色,S錐体は青色の光に感応することで,私たちはさまざまな色を識別することができます。ただし,それぞれの錐体が感応する波長帯には重なりがあり,そのスペクトルの裾野が互いに重なることで,微妙な色の違いを見分けることが可能になっています。私たちが青色を認識する際には,S錐体が大きく反応し,M錐体もわずかに反応しています。興味深いことに,このS錐体は,L,M,Sの全錐体のうち,わずか5%にすぎず,私たちはごく少数の細胞によって「青」を感じているのです。さらに,この錐体の数や感応スペクトルは個人差もありますので,人によって見えている「青」にも個性があるのですね。さて,なぜS錐体はこれほど少ないのでしょうか。その一因は,人類の祖先が夜行性哺乳類だったからというのもありますが,自然界に青色の動植物が非常に少ないことにも関係があります。青色を呈するには,物質が赤や緑の長波長の光を吸収し,青の短波長を反射または透過しなければなりません。しかし,こうした特性をもつ分子は自然界には極めて稀です。植物がこのような色素を合成することは難しく,それを食べる動物にとっても自前で青色を生み出すのは困難です。青が少ない世界において,視覚的に青を識別する必要性も相対的に低く,進化的に見ればS錐体の数が少ないのも納得できます。
 とはいえ,現代の私たちの身の回りには青いものが数多く存在します。その青は,どこからやってきたのでしょうか。古代から知られる「青」の一つに,ラピスラズリがあります。アフガニスタンの山岳地帯で産出されるこの鉱石は,美しい群青色を帯びた希少な石で,紀元前の古代エジプトでも装飾品として使われ,「サファイアの石」とも呼ばれて金よりも貴重とされてきました。このラピスラズリから抽出される顔料が,画家たちの憧れた「ウルトラマリン」です。
 ウルトラマリンをふんだんに用いたことで知られる17世紀の画家が,オランダのヨハネス・フェルメールです。フェルメールの作品には小さな窓から差し込む柔らかな自然光と,それに照らされた青い衣服や調度品が印象的に描かれています。とりわけ「フェルメールブルー」として知られる深い青は,彼の静謐な画面構成と相まって,神聖さすら感じさせます。バロック絵画の時代,青の顔料は高価で容易に手が出せないものでした。仮に教会からの依頼であれば,資金的援助も得られたでしょうが,フェルメールはそうした後ろ盾を持たず,限られた資金でこの顔料を手に入れていたようです。
 当時,ラピスラズリを産出したアフガニスタンのバダフシャーン州のサリ・サング鉱山は,険しい山岳地帯でありながら,地政学的にも重要な地域で,南にムガール帝国(現在のインド・パキスタン),西にサファヴィー朝ペルシア(現在のイラン)が勢力を及ぼす帝国の狭間にある国境地帯でした。政情は不安定で,交易ルートも決して安全とは言えませんでしたが,そこからラピスラズリをヨーロッパに輸送するには,ラピスラズリ回廊といわれる陸路を延々と移動するしかなく,馬やラクダの背で運ばれたと言われています。こうして運ばれた鉱石から抽出できるウルトラマリンは,鉱石の重量のわずか10%程度。まさに貴重品でした。ちなみにサリ・サング鉱山は紀元前6千年ごろから採掘されていた世界最古の鉱山のひとつであり,古代メソポタミアやエジプトにもラピスラズリは輸出されていたとのことで,驚きです。謎の多いフェルメールですが,その限られた生涯の中で,静かな部屋の中に差し込む光と,青という色の深さに魅せられて,一心不乱に描き続けていたのでしょう。宗教画のような荘厳さを,日常の情景の中に持ち込んだその作品群は,今なお多くの人々を魅了し続けています。
 時代は下り,19世紀の1867年パリ万国博覧会には日本が初めて参加しました。幕末の日本が出展した浮世絵(葛飾北斎や歌川広重など)はジャポニズムブームの火付け役となりました。北斎の代表作「富嶽三十六景」には青色がふんだんに使われていましたが,これはいわゆる「ベロ藍(ベルリン・ブルー)」であり,1704年にドイツのベルリンで発見された当時としては新しい顔料で,その深く鮮やかな青でヨーロッパの人々を驚かせました。海や空の青が,遠い日本の風景とともに西洋画家たちの想像力を刺激し,のちの印象派にまで影響を与えたのです。ベロ藍は当時,日本でも高価な輸入顔料でありながら,北斎はそれを積極的に用い,「神奈川沖浪裏」の大波の青に込めた迫力と静謐さは,青という色の可能性を極限まで引き出しています。青という色には,時代や土地を超えて人の心を揺さぶる力があるのかもしれません。私たち人類は青という色に包まれ,そしてその色の美しさを追い求めてきたのですね。
 京都大学のスクールカラーの濃青。これは,京都大学体育会が最初に定めたとのことですが,そもそも604年に聖徳太子により制定された冠位十二階では冠位の大徳・小徳・大仁に紫・青・紺がそれぞれ対応しており,濃青に近い色は徳や仁といった学問に関わる私たちにとって不可欠な高い道徳性・精神的価値観を象徴しており,誠実かつ高い知性に基づく理想の研究者を表し,京都大学らしい色といえます。
 濃青は宇宙の広がりを連想する色ですが,実際の宇宙空間では光を散乱する大気が存在しない,あるいは希薄なので,空は完全なる黒色といえます。地球上では,夕暮れには太陽光は西のかなり低い位置から地表に斜めに入射するため,日中とは比べ物にならない長い距離にわたって大気層を伝搬することになり,経路上で光の散乱が強く起こり続けます。大気中の窒素分子や酸素分子により生じる空間的な屈折率の揺らぎのスケールは可視光の波長よりも十分に小さいため,レイリー散乱が起こります。レイリー散乱では,散乱強度が波長の4乗に反比例し,太陽光線に含まれる可視光線のうち短波長の380 nm(紫色)の散乱強度は780 nm(赤色)と比べて約17.8倍にも及びます。その結果,東の空のあたりでは短波長の光がほとんど残っておらず,辛うじて残っている微弱な紫色の光が散乱されて地表に降り注ぎ,東の空には得も言われぬ濃青のグラデーションを生み出すのです。濃青に神秘と静寂をたたえた宇宙の広がりを連想するのは,そういった理由によるものかもしれません。
 海にも濃青を見つけられることがあります。水は波長の長い光(赤色)をよく吸収する性質があるため,最終的に波長の短い光のみが海底に到達しています。海底が深く白いと,到達した波長の短い光が反射して水面に向かって伝搬します。その過程で再び波長の長い光がよく吸収され,水面の上からのぞき込む私たちの目に鮮やかな青色の光が届くのです。水分子は酸素原子1つと水素原子2つからなる極性分子であり,その構造により決まる振動モードは赤外線の波長と共鳴する性質があります。対称伸縮振動(2740 nm)・非対称伸縮振動(2660 nm)・曲げ振動(6270 nm)などは基本波が可視光線の最大波長の780 nmを上回っており,可視光線を直接吸収するわけではありません。だから,水は基本的に透明なのですね。ところが,水分子の振動モードの倍音(2倍高調波だと2分の1波長,3倍高調波だと3分の1波長)に対しても光は弱い共鳴を示すので,特に波長が赤外光に近い赤色の光が(わずかながら)吸収され,熱エネルギーとして散逸するわけです。特に小笠原近海では河川などからの土砂流入や肥料流入がないために海水の透明度が高く,太陽光が深くまで届き,しかも大陸棚が存在しないために100 mから1000 m以上の水深となっており,また,海底の白い砂は光を強く反射するといった条件がそろっているため,「ボニンブルー」と呼ばれる神秘的かつ深遠な濃青が見られます。ちなみに,沖縄は遠浅なサンゴ礁が続くため,水深は10 mから30 mほどと浅く,入射した太陽光のうち赤色の光を十分に吸収できずに海底のサンゴ礁で反射するため,エメラルドグリーン・エメラルドブルーの海が広がっています。
 地表の3分の2は,そんな青の気配を見せてくれる水に覆われていて,それによって「青い地球」となっています。また,私たちの体の半分以上は水でできています。このような水は,私たち人類を含めた生命の源であり,その水が透明に見えて,実はほんのり青色だということは,この色こそ私たちを生み,育て,未来を拓く色だともいえるわけです。私たちの息づかいや胸の高鳴りも,もとをたどればこの青色。私は,呼吸や心拍を離れたところから計測する技術を研究しています。電波を使って体表面の数ミクロンから数ミリといった微小な動きを捉え,人や動物という複雑なシステム,体のしくみ,脳や心のはたらき,こうした真の姿の解明に少しでも近づきたいと考えて,桂キャンパスを舞台に研究に勤しんでいます。近い将来,人の心や体が見守られ,私たちの世界がより明るい青色に輝くことを夢見て研究を進めています。
 最後に,京都大学工学研究科は,吉田・桂・宇治それぞれのキャンパスが,それぞれ異なる個性を活かしつつ,工学研究科全体として学問と研究の営みを支えています。私自身は桂キャンパスを拠点としていますが,どのキャンパスにおいても,学生のみなさんには研究や勉学に没頭しつつ,自由な精神のもとで青春を全力で謳歌し,教職員のみなさんからも教育・研究・運営を通じて日本・世界・宇宙を舞台に,新たな「青」の輝きが放たれればと願っています。長い時をかけて「青」を追い求めた人類の情熱,その情熱を受け継いだ私たちも研究の前進や大学の理想実現を追い求め続ける。それこそが京大スクールカラーの「青」の真の意味ではないでしょうか。私たちの京都大学工学研究科の次の百年間の一瞬一瞬が京都大学の濃青のさらなる深みとなる,そう信じています。

(電気工学専攻 教授)