京都大学を離れて思うこと

小森 悟

小森先生写真京都大学を定年退職後、実験室の後片付けや次の非常勤職の準備等に追われている内に早くも4 ヶ月が過ぎた。思い返せば、博士課程修了まで化学工科(専攻)の学生として9 年間、その後、同学科の助手として1 年間、筑波の国立公害研究所および九州大学での勤務を経て京都大学に戻り機械および機械理工学専攻の教授として18 年間、合計28 年間も京都大学にお世話になったわけで京大関係者の皆様には大変感謝しているところである。この間には様々な思い出があるが、3 月末の最終講義で「乱流輸送現象の研究一筋40 年」と題して私の研究人生や思い出については既に語らせていただいた。もう一度、本随想でこれらのことを書くのは新鮮味に欠けるようでなんとなく気が進まない。また、先月の7 月には、約30 年前の若い頃の留学時に大変お世話になった先生の75 歳の誕生日を祝う学会がケンブリッジ大学で開催されたのでそれに参加させていただいた。この時に、私よりも年上の欧米の先生方が今なお現役で昔と同じように研究に情熱を燃やしながら議論され論文の執筆を目指されている姿や綺麗な芝生に囲まれた如何にも学問に集中できそうな静寂な環境の中で西側に次々に発展しているケンブリッジ大のキャンパス等を見ていると大いにアカデミックな刺激を受け、退職後に気楽に昔話などを書いている場合かと思ってしまった次第である。

いっぽう、このような欧米ではなく日本の大学等の現状に目を向けると、優秀であればあるほど事務作業などに追われる准教授らの若手教員、競争的資金を取ればとるほど社会サービスや外交内交(?)に忙しくなる教授、定年退職により研究継続にブレーキまたはストップをかけられる研究心旺盛な教授、等々が思い浮かぶ。これに加えて、被引用等をベースにした日本の大学等の研究力がケンブリッジ大学などに比べてかなり低迷していることを示す世界大学ランキングや日本の発表論文数が最近10 年間程停滞または減少気味であることを示す統計データを見せられると、日本の大学や科学技術の未来はこのままで大丈夫なのだろうかとふと考えさせられた次第である。

そこで、この随想では、お世話になった京大の未来に対して期待するものと言うようなことを私になりに書かせてもらおうかと思った。しかし、一向に筆が進まず原稿提出の締め切りも近づいたため、約2 年前の総長選考予備投票で10 人の予備候補者の内の一人に選ばれた際に選考会議に提出させられた所信表明書を掲載することで安易ではあるが本稿に代えさせていただくことにした。なお、私の考えを極短く書いたこの所信表明書は第1 次候補者には至らず未公開となったためここで披露させていただいたが、2 年も前の古いものであるため時代錯誤の点が多々あることをご容赦願いたい。

『高等教育に関する議論が高まり、大学改革の圧力がかかっている。その主な論点は、「大学が社会の期待に応えるためには組織改革を含め総長を中心とする大学のガバナンス強化と経営の効率化を図らねばならない」であり、本学は文科省をリードする形でこれに呼応しつつある。しかし、京大の場合、具体的にどこが問題であり社会の期待に具体的にどう応えられていないのか、また、その問題を克服するためにどのようなガバナンス改革が必要なのかが明確でない。これを明確にせずして、運営費交付金の一律削減という政府の締め付け策に屈し、その対応に汲々としながら流行に操られた教育研究プロジェクトや上辺の組織改革などの無駄と混乱を招くのみで結実するとは考え難い施策に京大のメンツをかけて見境なく手を染めていくことは、教育研究力の向上どころか社会が期待する京大らしささえ喪失することにつながると思われる。

このような状況下で、今後、研究大学の京大が採るべき道は、政府の流行施策に踊らされた目先の拝金主義に向かうのではなく、裾野の広い全学問分野において常に独創的で質の高い基礎学術研究を生み出すことのできる学問の府であることを目的とし、卓越した研究能力を有する人材の積極的確保および社会に役立つ有能な人材の育成に徹することにあると考えられる。

以上の観点から総長は以下のことを目指すべきと考える。

1. 統率力:総長のリーダシップとは、部局の意志を無視した自己陶酔型の独断専行ではなく、多くの部局の賛同が得られる、真に京大のためになる改革を出身部局の利害にとらわれずに速やかに遂行し、誰もが望む教育研究環境を具現化することにある。学生の教育機関である大学の総長には、昨今の組織変更計画や総長選考規程改正に関する騒動を通して透けて見える私利私欲で動く策士タイプではなく、芯のぶれない誠実で公平な人物が求められる。組織票ではなく人物本位の総長選考を可能にする選考方法の改正は勿論、総長リコール制度及び任期途中の中間評価制度の導入は必須である。

2. 研究:国状に依存する世界大学ランキングに対し偏差値至上主義の受験生の如く反応するのは愚かであるが、研究力に関する評価項目のさらなる向上を目指すことは研究大学である京大にとって極めて重要である。総合大学として広範囲に渡る各学術分野で最高または一流レベルに属する研究業績と教育者としての人格識見を併せ持つ教員、特に教授、を持続的に国内外から採用し、これらの教員の研究に惹かれて集まる優秀な人材を鍛えて世に送り出さねばならない。この卓越した教員を各部局が採用・支援するための教育研究環境の整備と統一した理念の下で各学問分野の特徴を考慮した教員選考・再配置・給与等に関する人事制度改革は最優先されるべきである。

3. 教育:教養教育のみならず、根無し草の如き人材を世に送り出さないためにも社会で活躍するための糧となる専門教育および社会で通じる人間力の育成に繋がる研究を通しての対話型の教育の充実が重要である。この研究を通しての教育に教員が専念できるための時間的・精神的環境を整える必要がある。一方、グローバル人材育成と称し、教養教育の英語化やそれに伴う研究業績不足の外国人教員の安易な雇用は中止すべきである。むしろ、大学院教育の英語化と、数ではなく京大の研究に憧れる質の高い優秀な留学生や外国人研究者の受入れを教員に促す支援制度作りが重要である。学部入試については小手先のAO入試導入などでお茶を濁すよりもセンター入試廃止や一期二期制の復活等のように受験生の立場に立つ全国立大学を巻き込んだ抜本的改革が必要である。

4. 大学運営:京大の財政的基盤を築くため、卓越した教員による害の無い全うな競争的資金の積極的な獲得を全学で後押しするとともに、第二期中期目標期間中に設置・膨張し続けた教育研究プロジェクト、産学連携、国際交流絡みの施設や組織などについては全面的な見直しにより、無駄の削除と従来の慣習に囚われない運営費交付金等の部局等への積極的分配等を行うべきである。』

以上のように2年前に好き勝手なことを書かせていただいたが、今も私の考えはほとんど変わらない。京大が研究大学である以上、優秀で誠実な教員が内輪ではなく開かれた人事制度により集められ、これらの教員が価値の無い雑務等で研究時間を奪われることなく、巨額でなくても使い勝手の良い科研費等を稼ぎながら、自身の研究分野において内容と重みのある独創的な研究の遂行に学生とともに没頭し、その研究成果を堅実な論文として各分野の権威ある国際誌に発表し続けることが望まれる。その結果、博士後期課程を目指して日本の学生はもとより海外からのトップクラスの留学生が欧米の一流大学並みにたとえ数百万円の授業料を払ってでも研究をしに来たいと思うような大学および工学研究科であり続けてほしいと願う次第である。最後に、これまで長い間お世話になった工学研究科の皆様に深謝するとともに、工学研究科の益々のご発展をお祈りいたします。

(名誉教授 元機械理工学専攻)