国際的研究ネットワーク

谷口 栄一

谷口先生写真定年退職を迎え、京都大学での23 年間の教員生活を中心に振り返り、思いつくままに綴ってみたい。1975 年に京都大学の修士課程を修了した後、建設省土木研究所で16 年間、主に道路に関連した地盤振動や土構造物の耐震設計、新交通システムの分野の研究に従事した。土木研究所は国の研究所であるので、研究の方法論の新規性よりも研究成果を法律・国の政策・技術指針などに反映させることが強く求められていた。ただその中でも博士の学位をとることは奨励されていて、1981年に交通振動の地盤伝搬特性に関する論文で京都大学から工学博士の学位をいただいた。その成果は振動規制法の技術基準の中で使われている。また、留学制度もあり、1981 年から1 年間米国のMIT に留学し、Whitman 教授の下でフィルダムの地震時の永久変形に関する研究を実施し、その成果を東京湾横断道路の人工島の耐震設計に応用できたことは幸いであった。その後、新交通システムの研究に従事し、デュアルモードバスの研究を行ったが、実際に名古屋市のガイドウェイバスとして採用され、今でも運行されている。このように具体的に研究成果が目に見える形になるのが国の研究所の特徴であろう。新交通システムとして東京の地下物流システムの研究を行っているときに、土木研究所から道路整備の現場に異動し、その後、1993 年に京都大学工学部の飯田恭敬教授の研究室の助教授として着任した。

京都大学に戻ってきて強く感じたことは、研究の姿勢として、研究の結果よりもアプローチや方法論の新規性に重点が置かれていることであった。大学の研究としては当然のことであるが、それまで国の研究所で研究成果を法律・国の政策・技術指針などに反映させることに重点を置いて研究を進めていたため、大きな転換を迫られることになった。実際には交通工学の中の貨物車交通の分野に絞って交通シミュレーションモデルや施設配置モデル、配車配送計画モデルなどの数理モデルを開発することによって、基礎的な研究分野で研究の方法論の新規性を出すことができるようになっていった。この頃、研究室の学生達と一緒に北大阪トラックターミナルにトラックの動きを徹夜で調査に行ったことは楽しい思い出になっている。

このように貨物車交通についての基礎研究がある程度できてきたときに次のステップを考えるために海外に出ることにした。幸い国際学会でお会いしたオランダのデルフト工科大学のvan der Hijden 教授の研究室に受け入れていただき、デルフト工科大学に1997 年の4 か月間研究員として滞在した。その間に若い研究者ともいろいろ議論を重ねて、シティロジスティクスという概念に行き着いた。これはロジスティクスの効率性と環境負荷低減の両立を目指す都市物流システムを構築しようというもので、パソコンもインターネットも未発達の当時としてはかなり無謀な考え方であった。しかしチャレンジすることに意義があるだろうということでその方向に研究を集中させると同時に、シティロジスティクスの国際会議を開催し、国際的な研究ネットワークを形成することに挑戦することにした。デルフトで小さな芽を出したシティロジスティクスだがその後2 年毎に世界中で国際会議を開催し、現在までに9 回を数え、最初は25 人程であった参加者がいまでは100 人を超えるまでに大きく育っている。また、大学・行政・企業の研究者の国際的研究ネットワークを育てることに努力をした。OECD やEU の会議にも積極的に参加し、日本と欧州を中心にこの分野の研究や実際の都市への適用が行われるようになっていった。幸運であったのは、同じ時期にICT (Information and Communication Technology) やITS (Intelligent Transport Systems) が飛躍的に発展し、ロジスティクスの分野に活用することができたことである。また、米国やアジア地域においてもシティロジスティクス分野の研究が盛んになり、いまでは全世界的な広がりがみられるようになった。国際研究ネットワークとしてVREF (Volvo Research Education Foundations) の支援によるCoE (Center of Excellence) の持続可能な都市物流に関する研究を京都大学・メルボルン大学・イェテボリ大学・デルフト工科大学・レンスラー工科大学が中心となり、他の15 の大学が参加して2014 年から実施している。さらに最近はIoT (Internet of Things) で収集したビッグデータを人工知能で分析する方法を活用できるようになり、これからますますこの分野は発展するものと期待される。

2002 年に都市基盤システム工学講座の教授に昇任したが、講座自体が新しい分野に挑戦するために作られたものであった。そこでまたどの分野を開拓するかと考えたが、シティロジスティクス分野はますます盛んになっていくので、それは1 つの研究の柱とするが、もう1 つ京都大学の医学研究科の笹田昌孝教授らと一緒に安寧の都市ユニットを創り、健康都市科学の分野を開拓することになった。これはこれからの超高齢社会において3 世代の人々が健康的に生き生きと生活するためにどのような都市を創ればよいかという問題に解決策を与えようというものである。大変難しいが重要な課題であり、医学的なアプローチと工学的なアプローチを融合させて新しい方法論を見つけようとするユニークな試みである。平常時の都市アメニティの充実という課題と、災害時のクライシスマネジメントの2 つに絞って研究を行ってきた。たまたま安寧の都市ユニット発足直後の2011 年に東日本大震災が起こり、災害時の緊急医療サービス、ヒューマニタリアンロジスティクスに関するフィールド研究を実施することができた。この分野において科学技術振興機構(JST) のConcert Japan プロジェクトとして京都大学・カッセル大学・イアシ工科大学・インペリアルカレッジロンドン・メルボルン大学が参加して、国際共同研究「地震に対して強靭な社会を創るための道路ネットワークに関する研究」を2013 年から2 年間実施した。京都大学退職後もレジリエンス実践ユニットでこの分野の研究を続けることができることは幸いである。

これから新しい研究分野を開拓することにチャレンジしたいと考えている若い研究者がおられたら、少し無謀に見えたとしても、社会にとって非常に重要な問題であると思うならチャレンジしてみることをお勧めしたい。そうすれば、知識・人材・資金は後からついてくると思われる。また、新しい研究分野の開拓へのチャレンジはぜひ国際的な枠組みで10 年から20 年の長期にわたって継続的に行われることが必要でないかと思われる。他の人がやっていないような分野については、国際的なネットワークの中のほうが、国内よりも必要な知識・人材・資金のサポートが得られやすいのではないだろうか。また、新しい分野は1 ~ 2 年では育てることが難しいが、10 ~ 20 年の間には大きく育つ可能性があるので、あきらめずに長期間その分野にとどまって研究を続けることが大切であると思われる。

いろいろと綴ってきたが、最後にこれまで私が京都大学の工学研究科において教育・研究に従事できたことは大きな喜びであり、多くの方々のご指導とご支援があったからできたことであり、ここに衷心より深く感謝の意を表したい。

(名誉教授 元都市社会工学専攻)