大学生活を振り返って

鉾井 修一

鉾井先生写真1.水を中心とする研究

建築学科は設計、構造、環境工学の3 分野で構成されています。大学へは第二の「建築家・丹下健三」になることを夢見て建築を志望しました。ただ、入学後早いうちにその才能のないことを悟り別な進路を探しました。

構造領域には未知なことが無いと誤解し残された環境工学を選択しました。ただ必ずしも消去法だけでなく、環境工学の演習で定量的な面とともに設計の自由度(曖昧さ)がありそうなことを知り惹かれたことも事実です。そのせいか、在職中はこの演習で教えることは楽しみでした。

ゼミ配属され卒論テーマに選んだのは結露でした。演習の質問に行った研究室の当時助手の池田哲朗先生にどのような研究テーマがあるかを尋ね、至極当然の結果として池田先生が研究されていた結露を卒論のテーマとしました。その後の人生は、この時の選択でほぼ決まったように思います。

結露は窓のカーテンを濡らしたりカビの成長原因となり住宅などで大きな問題になることもしばしばありますが、窓ガラス表面だけでなく断熱材などの壁内部で発生する結露(内部結露)を防止することが池田先生の研究の目的でした。そのために、木材や断熱材など多孔質建築材料の中で結露がどのように進行するのかを明らかにすることが最終的な目標でした。

地味な内容であったこと、壁の中が相対湿度100%にならないように壁を設計すれば良いではないかということだったのでしょうか、企業からの要請も少なく科研費と校費で研究を続けました。(なお、内部結露に関しては、解析ソフトが世界的にも開発され、実務に供されているというのが現状です。)卒論では相対湿度100%における平衡含水率の測定、修士論文はその延長上の研究、博士課程から助手時代には湿った多孔質材料の熱伝導率を測定する方法について研究しました。(これは今年ISO 規格になりました。)

これらは物性測定が中心でそれなりに面白かったのですが、当時はやりの快適な室内環境の形成や省エネルギーに関係する研究もしたくなりました。その結果、神大に移ってからは外気温や日射量などのランダムな変動が室温や熱負荷計算に及ぼす影響の検討をテーマにしました。確率過程論、時系列解析に基づくモデルを作成しましたが、残念ながら現在では計算機が発達したこともあり力任せに生の気象データを用いて数値計算をするのが主流となっています。ただ、この研究を暖冷房負荷を最小化するための壁体の最適設計、最適制御へと展開し、さらにFokker-Planck 方程式による内部結露の解析や空調除湿を考慮した室内湿度解析へと拡張し、水分に関係する研究へとつなげました。

次に興味を持ったのは、神戸大学から京大に戻ったときのゼミで、学生が発表した人体深部温度の過渡的な変化の測定結果でした。このとき人体を生物としてではなく単なる熱容量を持った物質とみなすことで測定結果が説明できるのではないかと考え、丁度助手になっていただいた高田暁先生(現神戸大学准教授)と一緒に、やはり水分移動が中心的な役割を果たす着衣内の汗の挙動の検討を出発点として人体の研究を始めました。予想は大きくはずれ、血流制御が大きく関与することを博士課程の学生が明らかにしてくれました。並行してこの研究を快適な睡眠環境形成、更に入浴時の血圧変化の予測へと進めました。

人体生理の研究と共に、この10 年位継続しているのが文化財の保存です。ある国際会議の場で日本人研究者から声をかけていただき、タイ・スコータイの仏像の保存に関係したのが最初でした。その直後に高松塚古墳壁画の保存問題が起きました。卒業生(宇野朋子・現武庫川女子大学)が東京文化財研究所に勤めはじめたこともあり、その後は敦煌、平城宮、仁和寺、南京城壁など多くの文化財の保存に関与する機会を得ることができ、小椋大輔准教授と一緒に調査研究を行いました。これらの文化財の劣化の多くは水分が密接に関係する塩、微生物、凍結・融解、湿潤乾燥による膨張収縮によるものです。

この数年は京町家の研究に関係するようになり、伊庭千恵美助教と調査を続けています。牽強付会かもしれませんが、これも水に関係しています。京町家の多くは家の中に井戸を持っており、現在は使われていないこの井戸水、それに繋がる地下水を利用して家の暖房に利用するとともに、地盤を冷やしてヒートアイランド対策に利用できないかということで、井戸水と地盤の水の移動の様子の調査や解析を行っています。

2.これまで、これから

これまでの研究生活を一応筋があるように書いてきましたが、実際は殆ど賭けのような選択の連続であったように思います。卒論で偶然選んだ結露(水ですが)という地味な研究テーマが、人間生活とその環境に密接に関係し、興味深い領域への広がりを持つとは予想しなかった幸運な選択でした。この十数年は物事を決めなければいけないとき、それなりの情報が得られたら情報収集は止めてエイヤーと決め、一旦決めたら選択したテーマに集中する。結果に後悔はせず、得られた結果から最大限得る努力をするというやり方をしています。溢れるばかりの情報に囲まれ、また社会や経済について数年先の予測すら大変難しい現在、これはなかなか良い方針かもしれません。

京都大学に入学した大学紛争の際に提起されていた問題の一つが大学と企業との共同研究、当時の表現では「産学共同」でした。産学共同は悪であると何度も聞かせられ、大学紛争が下火になり京大で助手になった後も、産業界から研究資金をもらって行う研究(紐付き研究)にはそれなりの抵抗感を持つようになっていました。所属していた研究室(創立者は第18 代総長の前田敏男先生)が、実学より基礎的な内容を重視する傾向にあったことも影響していたかもしれません。今回、この原稿を書くにあたってこれまでの研究を振り返ってみると、当時の研究は外からの要請によるものは少なく内発的で、科研費および研究財団からの助成によるものが大部分でした。(それは自分の行ってきた研究が企業にとって魅力的ではなく、委託してくれなかったというのが一番の理由ですが。)言うまでもなく、実務からのニーズは研究テーマの源泉の一つであり、上述のスタンスをとったために貴重な研究源に接する機会を失ったかもしれません(開き直って、実務を知らずに面白そうな研究テーマを捻り出すのは、頭の体操に良い貴重な経験であったと思っています)。

大学での研究はInnovative でGlobalization に対応できなければ研究費の獲得が難しくまた評価されず、産業界にアピールできなければ研究費の獲得と継続が困難になりつつあります。まさに隔世の感です。Innovative でなければならないのはいつの時代でも当然ですが、どのような評価尺度で判断するのかが重要です。競争的資金や外部資金を獲得するには申請書の評価者を納得させる必要があり、それ自身チャレンジングな創造的活動ですが、評価の時間スケールが年々短く、かつ賭けを排除し着実に結果が得られる研究に重点が置かれる方向に向かっているのは気になります。

現在は、京都大学の産官学連携本部の特任教授の立場で包括連携研究に関して企業の研究施設において仕事に携わっています。本原稿を依頼され大学入学時からを振り返り、産学共同という言葉を思い出し、改めて現在の立場、位置づけを探りつつあるところです。

3.お礼

最後に、以上のように楽しい研究とそれに伴う教育をする場、環境を与えてくれた京都大学と工学研究科に感謝致します。ご指導いただいた先生方、一緒に研究を進めてくれた先生方に心よりお礼申し上げます。そして、実験、解析、調査などに関する刺激的な議論を通して老化を遅らせてくれた多くの卒業生には、感謝するとともにこれからの活躍を期待致します。大学の財産は人だと実感しています。

(名誉教授 元建築学専攻)