過ぎ来し半世紀の科学技術と今後

鈴木 実

鈴木本年3月末日をもって定年退職するのを機会に、これまで私自身が体験してきた50 年近くの科学技術の発展を振り返り、その原動力あるいは拠って立つ指針が何であったのかを、極めて主観的にかつ個人的にではあるが、考えてみたい。 そして、今後はそれがどのように変わるのか、あるいは変わらざるを得ないのか、私の個人的な考えを 述べてみたい。

私が科学ないし技術というものに最初に触れたのはラジオだったと思う。マジックアイを合わせながら相撲や笛吹童子を胸を踊らせて聞いていた。時々壊れて、ラジオ屋さんに真空管を交換して貰ったのを覚えている。小学校高学年の頃は、相撲ガムを買って当たったゲルマニウムラジオを、夜、布団の中で 聞きながら寝た。アンテナを微調整しながらなかなか聞き取れない放送を一生懸命聞いていた。電池もなしに、なぜ聞こえるのか不思議だった。停電も多かったので、懐中電灯と蝋燭は必需品だった。エナメル線を巻いておもちゃのモーターも作った。乾電池は今ほど安価ではなく貴重だった。

私が自分の将来の仕事を決めたのは中学1年生の時だった。ある日、担任の先生がホームルームの時間にエサキダイオードの話をしてくれたことがあっ た。半導体の研究者は、マッチ棒の先のような小さな半導体をピンセットでつまみ机に座って、ためつすがめつ一日中眺めているのだ、という。私はこれを聞いて、自分の将来の仕事は半導体の研究者以外にない、とこの時決心した。それから大学の研究室に入るまで一直線だった。一度もぶれたことはなかった。

テレビは中学生の時に家で買って貰えた。テレビの中はまるでジャングルのような感じだった。スイッチを入れてしばらくしてから画面が出た。高校の頃には小型のトランジスタラジオが販売された。欲しかったが買ってもらえなかった。大学の時に最初の1年は大学紛争で授業がなかったから、アルバイトをしてソニーのトランジスタラジオを買った。 IC11 といってトランジスタ11個を集積化したIC が1個使われていた。性能の良いラジオでそれからずっと愛用した。今でも持っている。

大学入学時に学生実験用の計算尺を全員が購入した。計算尺での計算は大変だった。2回生の時に土木工学科の研究室でアルバイトをし、その時シャープのかなり大きい卓上の電卓を初めて使った。この計算機は平方根の計算ができた。顔見知りになった助手の先生に頼んで内緒で学生実験のデータ整理に使わせて貰ったのを覚えている。この時は電卓の威力を実感した。4回生の時、研究室の修士1回生の先輩が、購入したばかりの手のひらよりも小さいHP の電卓を自慢して見せてくれた。3万円だった か5万円だったか、当時としては随分小型で個人でも買えるくらいの安さだった。

1975年電電公社の電気通信研究所に就職した。その頃、研究所は256k ビットメモリ(DRAM)の開発に一丸となっていた。1980年の頃にパソコンが出回り始めた。早速8ビットのAPPLE II を買っ て実験で自動測定に使った。OS とBASIC とプログラムのテキストに合わせて48k バイトしか使えるメモリがなかった。それでも画期的に実験が進むようになった。個人でもNEC のPC9801を購入した。CPU は16 ビットでクロックは8MHzだった。それからのパソコンの発展は本当に目覚ましかった。

HP の電卓には赤いLED が使われていた。その頃、学会では発光ダイオードの研究が盛んだったが、 青色発光はほとんど無理と考えられていた。しばら くして青色発光が得られるようになったが、輝度が問題でその解決には誰もが悲観的だった。それが突然1990 年頃、高輝度青色発光ダイオードが発明されて一気に解決した。その発光ダイオードが今使っ ているパソコンのディスプレイにも使われている。 そのパソコンはクロック2.6GHz で4つのCPU が並列されハイパースレッディング・テクノロジーを備えて8個のCPU として働くという。さらに、メ モリが16G バイト、512G バイトのフラッシュメモリディスクを備えている。エサキダイオードの頃と比べるとまさに隔世の感がある。

私は半導体を志したが、専門は結果的に超伝導になってしまった。超伝導の研究を始めた頃、転移温度は最高で23Kと報告されていた。しかし、実際に扱う超伝導体では10K そこそこであった。それが1986年に高温超伝導物質が発見されて、転移温度の最高は今や135Kになった。こんなに高い転移温度というのは、私が研究を始めた頃はまったく夢 のまた夢であった。それが現実になるとは。今、こ うして振り返ってみると、その感慨はもう言葉にならない。

技術も科学も進歩の勢いを突然速めたと感じられたのは、ちょうど世紀末にかかるころだった。高温超伝導が発見され、ハレー彗星が現れ、高輝度青色発光ダイオードが発明され、コンピュータがどんど ん良くなっていた。だから、常温核融合が報告されたときは、そういうことがあってもおかしくないという気持ちになってしまっていた。残念ながら常温 核融合は違っていた。

たった50年ではあるが、その間に科学と技術は何と進歩してきたことだろうか。その50年と自分の人生を共有できてきたことは研究者としては本当に幸せなことだったと思う。胸が踊りそして心がときめく時を何回も味わうことができた。今でもその時の情景などありありと思い浮かべることができる。

これだけ科学が発展してみると、果たしてこれから一体どう発展するのだろうかと、ふと気になってしまう。まだ発展の伸びしろはあるのだろうか と...。このように思うのは、これまでの科学技術の進歩というものはある一定の方針に保証されて進められてきたような気がするからである。つまりそれは20世紀初頭の量子論の開花と固体への応用ということから得られる果実をひたすら収穫する作業であり、極端化すればどんどん微細化すればますます高速大容量になるという進展の路線が敷かれていたからとみなして構わないのではないだろうか。その結果実現したコンピュータの高性能化は、あらゆる面で生産性の飛躍的な高度化と生産技術の高性能化を達成し産業革命をもたらした。まさに未曾有の 進歩であったが、しかし、その根底にあった共通の指導原理というものは意外と簡単なものだったので はないだろうか。それが、50 年経って、そろそろ古くなりつつあるのではないかという気がするのである。

生命科学やまだ新しい科学分野などはこれからも長足の進歩を遂げると思う。また異なる指導原理で発展してきた科学技術分野もあろうかとは思う。しかし、一般論として、今後の科学技術の進展の速さ はこれまでよりも恐らく鈍化するのではないかと思われるのである。

これまでの科学技術は、一つには、人間の肉体あるいは脳の能力を補完し増強することを念頭に置かれてきた。脳に関しては高性能なコンピュータの出現でかなり目的を達成しつつあるような気がする。 これからは高速高密度大容量で100年は信頼できる不揮発メモリや量子コンピュータができればよいと思う。移動の能力に関わる技術も着実に進歩すると思われる。ヨーロッパの美しい建造物が100年以上も残っているのに日本の構造物が40 年くらいで崩落するのはあまりにも情けない。このへんはもっと技術が進展して欲しいと思う。しかし、これらのことは今までの延長線上にあることでこれまでの50 年と対置するものではないだろう。

今後科学技術が画期的に発展する可能性を考える上で、20 世紀初頭の量子論に至った原動力が何だっ たのかと振り返ることは重要と思われる。それは、 合目的的な側面もなかったとはいえないが、多くは純粋に知的好奇心に根ざしたものだったのではないだろうか。そういう知的好奇心の旺盛な多くの科学者が活躍して量子論など近代科学が生まれてきたのだと思われる。今後も科学の画期的な発展を促すにはまたそういう環境を作らないといけないのではな いだろうか。

知的好奇心を育てるということは昔に比べてそう簡単ではなくなってしまったような気がする。昔は身の回りにあるものがそのまま知的好奇心をそそりそれが科学原理の探求に直結した。ところが、今は直結しない。少なくともそう思われることが多い。 現在では、科学の発展のために知的好奇心を求められるのは息の長い教育の後であって、そうした今の教育では大学を卒業する頃に知的好奇心の旺盛な学生がどれだけいるだろうか。そういう学生は勿論今もいて科学技術を担っていくと思われるのだが、数が少なければ画期的な発展というものはなかなか期待できない。もっと多く優秀な学生を輩出しないといけないわけであるが、そのためには同じくらい知的で優秀な教員が多く必要になるのである。もし、教員から育てようと考えたなら、これは国家百年の計になり、念頭にある科学技術の発展の時間スケールから逸脱してしまうし、しかも必ずしも成功するわけでもない。それにそれほど多くの優秀な教 員を育てられるだろうか。このような教育における需要と供給の時間的量的な齟齬を思うにつけ、今は何か新しい教育のスキームを考えるべき時期に差し掛かっているのではないだろうかと考えざるを得ない。

今、私が思っていることは、これほどまでに発達 したコンピュータを、生産技術や機械類の制御、あるいは通信や娯楽だけに利用するのではなく、なぜ教育に利用しないのだろうか、ということである。 もし、コンピュータを使って優秀な個人教育ができるようになれば、天才のような学生が沢山輩出するはずである。少なくても教師の量の面での問題は解決できる。素晴らしいコンピュータ教育システムが一つできれば、教師の数には困らなくなる。これまではパソコンを教育の補完として考えて来たが、一般論として、これからは人間の教員がコンピュータによる教育の補完をすることも考え得る。そういう時代に変わらなければいけないのではないかと思う。科学技術の発展は一人の優秀な科学者によってもたらされると考えるのは多分当たっていない。むしろ、優秀な科学者が多く集まることによって、そのうちの一人が偉大な発明発見をもたらすと考えるべきなのだと思う。今の科学技術の高い水準と、遺憾ながら不十分さを指摘される教育の中にあって、知的好奇心が旺盛で優秀な学生を多く育てるにはコンピュータによる教育システムが必要とされるのではないだろうか。大学はその開発に一日も早く着手するべきではないのだろうか。囲碁の井山裕太名人は20歳で名人位についた天才棋士だと最近知った。その天才棋士の誕生にはインターネットとコン ピュータが重要な役割を果たしたという。この場合は人間も介在しているので、コンピュータが主体ではないのであるが、コンピュータ教育の走りとしてその有効性と重要性を示す重要な事例であると思 う。

(名誉教授 元電子工学専攻)