京都大学での半生を振り返って想うこと(明日香村にて)

名誉教授 前一廣

前一葊

 緊急事態宣言も明け久しぶりに奈良明日香村を散策した。今から50年前の高校時代,部活の友人達と毎週のように歩き回り,野放しの古墳の中に入り懐中電灯を照らしながら探索していたことを思い出しながら,高松塚古墳,鬼の雪隠,猿石,石舞台古墳,橘寺と巡った。「中学,高校時代は考古学者になろうと京大文学部上田正昭先生のゼミを目指して猛烈に勉強していたのに,工学に身を置いているとは,人生とは奇異なものだな」と思いながら1300年以上昔の人工物を満喫しながら板葺宮跡に着いた。芝生の上に坐って向こうに見える大和三山(畝傍山,耳成山,香具山)を眺めながら,高校時代から現在までの時代の移り変わりや自分の半生に想いを馳せてみた。以下,思い出という私事で終始し何ら示唆するものもないことをご容赦願いたい。

 日本の山々,寺社仏閣を歩き回った高校時代を思い起こせば,零細家内工場で苦しんでいる両親の反対もあり理系へ転向したが,その理由を納得させたくて工学関連の色々な専門書を読み漁った。そのとき出会ったのが化学工学協会(現 化学工学会)の「ケミカルエンジニアのすすめ」であった。この内容は高校生の小生にとっては衝撃的で,高校化学とはかけ離れておりプラグマティズムに基づく,まさしく工学であった。この一冊の出会いから,化学工学分野では日本で最も古くトップであった京大工学部化学工学科(現 工業化学科)を目指し,昭和51年4月に入学を果たした。修士修了後,自ら考案したプラントを社会実装したいという気持ちから神戸製鋼所に就職し,石炭液化パイロットプラント開発に携わった。一応,自ら考案した処理方法の基本コンセプトから開発したプラントが無事稼働できたことが,人生の中での納得できる業績と感じている。

 液化プラント開発が佳境に入ってくる中,人生の転機が訪れる。小生の恩師である橋本健治教授(現名誉教授)からの大学助手としてのお誘いであった。小生,すでに長女もおり相当悩んだが,上司から「一私企業の技術者ではなく日本の化学工学の発展のために戻るべき」と肩を押され,29歳半ばから大学教員としての人生が始まった。戻ったのは10年の時限で設立された助教授1,助手1の工学部附属の実験施設で,それから数年間,学生たちとともに昼夜を問わず研究に没頭した。大学当局のご尽力もあって,8年後には大学院重点化に伴い,化学工学専攻の専任講座(環境プロセス工学講座)としてフルスタッフでパーマネント化され現在に至っている。小生にとっては,時限施設からパーマネントな講座にすることをミッションに一大決心で大学へ戻って,何とかその目的を達成できたことが京都大学での活動の中で最も満足していることであると同時に,小生の研究生活で最も充実していた期間であった。少ないスタッフ,配属学生の中で,学生達が生き生きと共に研究を進め,色々なオリジナルな考えを生み出してもらったことや,7年の間に共に研究を進めてきた学生の中から,京大化工に4名の講師以上の教員,他大学に3名の教員を輩出した。半講座でありながら毎年1名は大学教員を養成できていたことになる。学生の博士への進学意欲は,やはり「研究が面白い」が根本であるが,現状は,「面白い」を担保できる研究環境になっているのであろうか?それには兄貴分の若手助教の充実が重要で,大学は彼らが「時間,空間とも自由に研究を進められる環境」を確保していくことに努力すべきであろう。

 板葺宮跡の芝生に寝転んで晴天の空を眺めながら,なぜ当時は充実していたのかを考えてみた。スタッフ,学生とも自由に何の重圧もなく自分たちのペースで研究に勤しんでいたこと,土日なし,徹夜の連続も頻繁であったが,学生も含め仲間感覚でよく学びよく遊ぶというスタイルであった。このようなことに懐かしく想いを馳せていたとき,ふと,「いつの間に,こんな追いかけられるような生活になってしまったのだろうか?」と頭をよぎる。「生活の時間スケールが年々短く感じるのは,所謂,歳のせいであろうか?」,とぼんやり考える。そこに携帯に着信メール,「原因の一つはこれか....」。着信メールは捨て置き,新聞に目を遣ると,そこには,「最近の若者は内向きで積極性がない」といった記事が目に留まる。そんな記事を見て,そういう若者を作った社会を形成している大人こそ反省すべきと考える。僕らが若いころも,「最近の若者は髪の毛を伸ばしてGパンをはいてだらしない」といつも批判されていた。それでも,当時,若者自身は立派な大人と思っていた。ましてや,現在,世界で活躍する若者は僕らの時代よりもずっと多い。今の若者の方が,この低成長時代にしっかり生きている。ただ,社会の許容力が無くなっている現在の監視・管理社会が若者たちの自由度を束縛しているのが問題なのだと思う。昔はどんなことでも多少のあそびがあった。ところが今はどうだろう。職場,学校でも全てのことに余裕がなくなり,最後の砦の家庭ですらなくなりつつある。このあそびの無さが最近取り沙汰されている精神的な病も誘発しているような気がしてならない。このように,現在社会は,情報空間が広がる一方で,その中の個人は,時間,空間が狭められ窮屈な中での営みを余儀なくされている。50年前,このあたりを散策していた頃は,アナログ社会ではあったが世の中の仕組みにも人の心にも余裕があったように思う。

 二昔前までは,大学での研究も自由度が大きく,失敗を恐れず果敢にじっくりと新しいことに挑戦できた。ところが今はどうだろう。何でも短期の成果,成果と評価してくる。ましてや,若手ほど任期制という最悪の制度の中でもがいている。非正規雇用と同等である。一般企業正社員で任期制は役員だけで,優秀な人材と認めて博士課程に進学させながら将来は知らないという全くもって考えられない非論理的な制度である。今,大学の役割として重要なことは,負債を抱えた日本を将来牽引する人材を粛々と育成することに尽きる。それがどうであろう。税金は人材に投入されずに,年寄りがイノベーション項目を最初から設定して研究資金を出すという構図である。最初から予測されるものは破壊的イノベーションとは云わない。それよりも,若手教員,学生たちが,おもしろおかしく学習,研究,遊びを満喫できる空間,時間を整えることが重要である。彼らは将来の日本を支える貴重な財産で,社会も「勉学中だからまあいいか」という大人の余裕を見せて欲しいものである。その一策として,優秀な人材にはパーマネントの助教としての雇用資金を関連業界全体で大学に寄付して頂くような仕組みも必要かと思う。研究そのものではなく人に投資することが,各業界のイノベーションの基礎を生み出す高確率な方法である。ただ救われるのは,京都大学は任期制もほぼなく流石健全であると安堵している。今後も,「面白い,楽しい」を味わえる自由闊達で多様性をよしとする京都大学であって欲しいと願っている。

 こんなことを考えているうちに日も落ちてきた。明日香の西の空が赤く染まりつつあるのを眺めながら,「そろそろ帰らないと明日の仕事の準備をする時間がなくなる」とさっき考えていたこととは裏腹のことを性懲りもなく思っている。今度は,小生の最もお気に入りの斑鳩の里にある中宮寺菩薩半跏像の何ともいえない柔和な顔を久しぶりに眺めに行こうと心に誓いつつ,「超高速狭小空間に戻るとするか」とつぶやきながら帰途に着いた。

(化学工学専攻 2022 年 3 月退職)