京滋阪神の低山と谷を歩く

名誉教授 細田 尚

細田先生1.はじめに:
 十数年前,地球系専攻内の改組の時,研究室名にキーワードとして流域を入れて河川システム工学から河川流域マネジメント工学に変更し,川に関する授業内容もそれを意識した構成にしようと努めてきました。流域の始まりは山なので,少しは山歩きをして実態を見ておかないと話もできないと思い近くの低山ハイキングを始めました。昨年11月に「吉田類のにっぽん百低山(NHK)」が始まったことを考えると,昨今低山歩きは全国的に人気が出てきたように感じます。
 元々,流域の形成過程を説明する資料収集のために始めた低山歩きなので,本稿ではまず日本列島の形成との関連から京滋阪神の山々と谷を概観します。その際,我々の生活に身近な社会基盤施設や歴史的土木遺産も一緒に紹介します。といっても地学を正式に学習したことも専門家について研究を行ったこともなく,二,三の啓蒙書を頼りに記述しますので誤りなどがあると思いますがご容赦下さい。

2.日本列島の形成過程から見た京滋阪神の山々:
 日本列島の地質区分図をみると京都盆地周辺や北摂の山々は丹波帯の中にあることが分かります。丹波帯は中生代ジュラ紀に大陸の縁に付加された海溝や海洋プレート上のいろいろな物質(付加体)で構成されているそうです。砂岩,泥岩,頁岩,チャート,緑色岩類(海底火山の噴出物),石灰岩等です。堆積年代を考慮して中・古生層と呼ぶ人もいます。このような付加体で出来ている山地として京都盆地周囲の北山,東山,西山や北摂の山地(妙見山や箕面の滝のある山等)があります。桂キャンパスに隣接している唐櫃越山地の尾根を歩くと露出した砂岩を見ることができます。
 その丹波帯の基岩の中に中生代白亜紀から新生代の初め頃,地下深くに花崗岩質マグマが貫入し地表に流紋岩質マグマや凝灰岩が噴出しました。(中央構造線に沿って現在の東北日本や西南日本が大きくずれ動いたのも白亜紀後期と言われています。)その後,2,500~3,000万年前頃から大陸の縁が割れ始め日本海が形成されるとともに,東北日本と西南日本が別々に少し回転しながら現在の位置に移動してきて1,400~1,500万年前頃に定置したそうです。定置した頃に活発だった火山活動により形成された火山が二上山,畝傍山,耳成山や赤目四十八滝周辺の山々です。畝傍山や耳成山は火口が山頂ですが二上山の山頂はその後の隆起と浸食で形成されました。その後,400万年程前から現在に至る東西圧縮による地殻変動が始まるまでに大地の凹凸は浸食作用により平坦になりました。400万年程前から京都,大阪,奈良盆地や琵琶湖の窪みのような大スケールの空間変動を形成する地殻変動が始まりましたが,盆地の縁の山や六甲山地,比良山地のような山々が出来たのは最近100万年程度の間と考えられています。
 大阪盆地の断面図をみると下から基岩の花崗岩(領家),その上に神戸層群(日本海拡大が始まる前に堆積した地層),さらにその上に330万年前から30万年前の間に海面変動の影響を受けながら堆積した大阪層群と呼ばれる淡水性・海成の地層が厚く存在していることが分かります。

3.岩質による分類と山の紹介:
(1)花崗岩の山々;京滋阪神の地質図を見ると,モザイク状に複雑に分布する基岩の中のあちこちに花崗岩の領域があることが分かります。例えば,近江湖南アルプス,比良山地の琵琶湖側で琵琶湖バレイ(打見山)より北側,生駒山地,六甲山地といった主だった山地は花崗岩でできています。異様な山容を見ながら歩くのはとても楽しいですが危険箇所も多いです。例を二つ紹介します。(写真1)は風化花崗岩地帯である湖南アルプス内の堂山の山容です。割れた巨岩・奇岩が露出するとともに風化と浸食のために植生が根付かず白いマサの山肌が露になっています。この山中の谷(大戸川の支川・天神川の支谷)に明治初期(1889年)に急激な土砂流出を抑制するために造られたのが鎧堰堤です(写真2)。(写真3)は隣の笹間ケ岳山頂の巨岩上から撮影した瀬田川です。この一枚の写真の中に瀬田川洗堰,旧南郷洗堰遺構,大戸川合流点,大日山,宇治発電所石山制水門,少し上流には瀬田の唐橋と鳥居川水位観測所,大津放水路があり,淀川の治水・利水数百年の歴史が凝縮されていて感慨深いです。二つ目として六甲山地の北側で有馬温泉-生瀬(なまぜ)間にある蓬莱峡と座頭谷を紹介します。(写真4)。蓬莱峡の奇異な地形は有馬・高槻断層系の中の六甲断層に沿った横ずれ運動により六甲花崗岩が破砕されることにより創り出されました。隣の座頭谷の砂防堰堤群も見事です。また,中央上部の平坦な面は前述の大阪層群が隆起した地層だそうです。

写真1_4 
(2)流紋岩の山々;花崗岩地帯の近くに流紋岩の山が分布している場合があります。例えば湖東カルデラと呼ばれる地域にある通称・太郎坊山(赤神山)や観音正寺のある繖山(きぬがさやま)等,六甲山地の北側で武庫川渓谷の両岸の山や三田盆地の北側にある有馬富士等,多数存在しています。ここでは流紋岩の岩壁で有名な百丈岩の絶景(最寄り駅はJR宝塚線・道場駅,写真5)とその近くの山間に1919年に建設された現役の土木遺産・千苅(せんがり)堰堤ダム(貯水池は神戸市の水道用水源池,写真6)を示しました。
写真5_6

(3)チャートの山々;最後に丹波帯の基岩が隆起して出来た山として愛宕山と大原盆地にある金毘羅山を紹介します。(写真7)は愛宕山を背景に穿入蛇行という形態で流れる保津峡です。地盤が隆起を始める前,保津川は平坦な大地を自由に蛇行しながら流れていて,今の亀岡盆地に海水が浸入したこともありました。その後,100万年ほど前から隆起が始まると保津川は自由蛇行の形態を保ちながら河床や河岸を浸食したので穿入蛇行という地形が形成されました。トンネルと橋梁が保津峡を串刺しにしているように見えますね。背景は有名な愛宕山で,ラクダのこぶのように見える山頂付近は,放散虫というプランクトンが海洋プレートの上に堆積しその後陸側に付加されてできたチャートという硬い岩石から成っています。大原盆地の金毘羅山は全山がチャートでできた山で,林立する硬い岸壁がロックゲレンデとして利用されています。岸壁の根元を縫うように登ることでロック・クライミングすることなく岸壁の上に立つことができます。(写真8)はY懸の頭から撮影した大原盆地とチャートの岸壁です。

写真7_8

4.おわりに:
 京滋阪神にいると,電車・バスを使って半日程度で多くの多様な低山のハイキングを楽しむことができます。本稿では紙面の制約のため石灰岩や三波川帯の結晶片岩の山,植生や鳥類等の基本事項について紹介できなかったのが残念ですが,本稿が多忙な教職員の皆様のリフレッシュために少しでも参考になれば幸いです。

(元都市社会工学専攻)