No.75 (2021.4) / 随想 / エンドロールに加えて:ボーダーレス時代の身近なボーダー

エンドロールに加えて:ボーダーレス時代の身近なボーダー

名誉教授 吉田 英生

吉田先生 京都大学で22年間お世話になりました(写真はちょうどその中間期のものですが,証明書用写真ではないので期間平均値として? お許しいただきたいと思います)。この間,学内では諸先生方,先輩,同僚,学生,事務の方々,さらに学外では同窓会の方々や街中の方々など,多くの皆さまのおかげで,有意義に楽しく仕事をさせていただき,かつ世界も大きく広げていただきましたことに,心からお礼申し上げます。いまこの拙文を読み返しながら,心の中に描いたエンドロールの画面に並べさせていただくお一人お一人のお名前をできる限り思い浮かべようとしている次第です。

 私は,1999年3月に京都大学に着任する前は,学生時代を含め25年間,東京工業大学に在籍しましたので,とりわけ,東と西の違い,理工系単科大学と総合大学の違い,について種々の対照的な面を身をもって感じることができました。それらの中で皆さまにも間違いなく首肯いただけると思うことは,京都大学の人々(とりわけ自転車でフットワーク軽く走り回っている学生)にとっては,キャンパスに塀と門はあるものの実は京都全体が日々のキャンパスであり,かつ京都への熱い思いを常に意識しているということです──空間的にも心理的にも京都全体が生活の基盤なのです。一方,目黒区と大田区の住宅街に囲まれている東京工業大学の人々にとっては,朝に正門をくぐるや,昼食時などに正門前=大岡山駅前の周辺に出ることはあっても,基本的に帰宅するまで閉じた空間に近く,ましてや東京への思いを意識することもありません。この意味で,京都大学はわが国で稀に見る周辺とボーダーレスな大学だと実感するのです。京都市民が学生を大事にして下さるというのも,その証左の一つでしょう。
 「ボーダーレスの世界」と決まり文句のように繰り返される今日です。確かに,世界はボーダーなく一体となって動いており,新型コロナウイルスの世界的感染の危機は,それが裏目に出たことと言えるでしょう。しかし,そのような言葉とは裏腹に,国内,いやもっと身近なところでさえ,まだまだボーダーだらけではないかと私には思えます。
 その典型例は最近毎日のように伝えられるニュースに見ることができます。現在心ある日本人にとっておそらく最も腹立たしく情けないのは,新型コロナウイルス禍で日夜奮闘していただいている医療従事者やその家族へのイジメという現実でしょう。どこから,このようなイジメにつながる考えが浮かぶのでしょうか? 同様に理不尽なイジメは,福島原発事故後にも放射線による汚染区域から避難した人々に対してもなされました。このようなボーダーは,島国で農耕中心の長い歴史を経てきた日本人の深層にも由来する面もあるかもしれませんが,極めて残念に思います。

 先にボーダーレスな大学として讃えた京都大学ですが,残念ながら学内にはボーダーはいくつか存在すると私は思っております。ご恩を文句で返すつもりは毛頭ないのですが,この場をお借りし,とりわけ若い方々のためにも私の「遺言」として述べさせていただきます。
 まず第一に挙げたいのは,代議員会での博士学位審査です。学位論文の予備検討そして最終的な調査で,原則3名の委員のうち准教授が筆頭になることは,ほとんどありません。制度的には若干の条件(簡単な追加手続き)が必要ではありますが,准教授が筆頭になる道は開けています。しかし,ほとんどの学位論文審査は教授中心で行われているといっても過言ではないと思います。私は,学問の場では,学位を持っている方なら教授でも准教授や講師でも全く同等に学位審査に関わるべきだと信じ,2013年3月の教授会で発言するとともに2014年10月には文書で具申もしました。しかし,全体的にはあまりご賛同をいただくこともできず,結局何も変わらず現在に至っていると思います。
 私が以前在職しました東京工業大学の理工学研究科(現在は工学院)では,学位審査に関しては教授と助教授は全く同格でしたし,東京大学工学系研究科でも,大学院課程担当になっていれば講師以上は同格とのことです。
 私の専門は熱工学ですが,熱力学を築いた偉大なカルノー,ジュール,クラウジウス,トムソンが大きな仕事をしたのは例外なく20代から30代にかけてでした。カルノーより5年早く生まれ,製本屋の元見習い小僧にして史上最高の実験科学者であるファラデーが次々と大発見をしたのも30代でした。さらには,われらが湯川先生の中間子論も20代の仕事です。このように,新たな世界を開く可能性は若い研究者にこそ大きいのです。博士学生をとことん指導しているのも,諸会議に追われる年配の教授より気鋭の准教授・講師などの方が多いでしょう。そのような若い方を中心とする学位審査が京都大学工学研究科の主流になることを願ってやみません。

 私の所属は物理系ということで,工学研究科内の専攻としては機械系3専攻・材料工学専攻・原子核工学専攻,そして事務組織の教職員で構成されています。私が着任した当時は「機友会」という親睦会があり,機械系の教員と事務職員も親睦の場をそこそこ有していました。また当時,機械工作室には面倒見のいい方がおられて,さらにお掃除の方々も手伝って下さって,毎年暮れには留学生を主対象として,物理系校舎の玄関前で餅つき大会もしていました(1) 。
 しかし,そのような催しをリードして下さった方のご定年などにともない,またますます忙しくなる日常で余裕を失うためか,系内の交流は徐々に低調になり,いつしか「機友会」も消滅してしまいました。私も微力ながら,時計台裏で満開の桜の前での集合写真や,夏休み前と新年の交流会も何度か企画してみましたが,盛り上がりは今一つでした。そこへ,2020年には新型コロナウイルス感染抑制のため3密禁止という外部からの強烈なパンチも加わりました。
 最近は,たいていの仕事はメールで済んでしまうので,教員と事務職員が顔を合わせる機会が減り,お互いにメールアドレスは知っていても顔が分からないもの同士で「お世話になっております」で始まるメール交換をしていませんでしょうか? 教員間でも,とりわけ年配の教授と若手の助教の間では接点が少なくなっています(その意味では各試験室で老若まじったグループで行う入試監督は貴重な機会です)。
 このように,インターネットの普及により物理的には離れていても簡単につながるようになったことは結構なことですが,逆にいちばん近いところでの直接的なコミュニケーションが軽んぜられるようになっては本末転倒ではないかとさえ思います。組織としての力は,構成メンバーの心が,多様性を認めつつも,通い合うことによって発揮できます。皆様方の個人的ポテンシャルは素晴らしい京都大学であることは間違いないですが,そのΣ(和)が最大となって一層の発展を遂げていただくことを祈念する次第です。

(元航空宇宙工学専攻)

(1) 京都大学工学部国際交流ニューズレター, No.22, p.4, Apr.2004.

物理系餅つき大会(2005年12月21日)
物理系餅つき大会(2005年12月21日)