工学における「文系っぽさ」の同居

助教 早川小百合

早川先生 工学研究科建築学専攻助教の早川小百合と申します。2017年3月に本学の工学研究科建築学専攻を修了し,社会人経験を経た後,2021年10月に助教に着任いたしました。
 わたしが属するのは建築論の研究室です。建築論では建築や空間の本質を探ります。研究対象としては,文献や史料を用いて分析を行うことが多いです。
 他の専攻の方はこう聞くと,工学研究科だがまるで文系のようだ,と思われるかもしれません。わたしはこの工学における「文系っぽさ」の同居(EngineeringとHumanitiesの同居)が,日本の建築教育の強みのひとつであると思っています。自身の専門以外の多分野への視野拡大がより実践しやすい体系になっており,それが物事の本質に迫る学際的研究につながると思うからです。
 ここで具体例としてわたしの博士論文の内容を紹介します。研究対象としたのは,近代建築の巨匠として広く知られるル・コルビュジエという人物が青年期に記した「都市の構築」という未定稿です。研究を進めるうちに明らかになったのは,草稿が主題とする都市形態論の究極目標として,都市住民の「愛郷心」創出が意図されていたということでした。そもそもこの草稿は,既存の都市デザインの悪い点を実証し,それを美的に改善するための実際的なデザイン手法を提案しようとするものでした。そうして改良された都市に対して都市住民が抱く誇りや愛着が,本研究で指摘した「愛郷心」という観念です。
 ここで工学における「文系っぽさ」の同居という観点に立ち戻ると,しばしば複雑な様相を呈する実現象の本質的理解には,多分野にわたる観点が必要だということがよく理解できます。工学的観点から都市に何らかの改善策を施し,一時的にその効果が見られたとしても,その状態を維持していくことはかならずしも簡単ではありません。専門知の実践とその定着には,その場所で実際に生活を営む人々のポジティブな感情,たとえば先の例でいう「愛郷心」のようなものが不可欠です。
 専門領域の細分化とそれらがなす全体の複雑化が進む昨今,文理融合や学際的研究の必要性はとくにさかんに語られていますが,19世紀の哲学者J. S. ミルはすでに,専門知を扱う際の全体的視野の重要性を述べていました。これは著書『大学教育について』としてまとめられています。この中でミルが述べるのは,専門技術を単なる商売道具のひとつとして学ぶのではなく,知性をもって賢明に用いていくための,そして,高度な知識を用いて一般的知識を修正すると同時に一般的知識が高度な知識に寄与するところを考察するための,知的訓練と思考習慣の重要性です。個別の科学がわずかな部分を明らかにするのに対して,その全体を考慮に入れることにより,実在するものを抽象としてではなく一事実として認識することができるという示唆はまさに,今日叫ばれている学際的研究の目指すところに対応しています。
 実際の社会における諸事象は人の気持ちを含む多くの要素が絡みあって生じています。社会人経験を経て大学で研究に従事する今,専門領域における新たな知見獲得を目指すことはもちろん,その各領域が構成する複雑な事象全体を考慮する論理的思考能力の醸成と他分野との協働こそ,大学の責務であると強く認識しています。ぜひ,他の研究室や他専攻,他研究科の皆様とさらに交流を進めたいと思っています。

(建築学専攻)