変 化

東京大学 大学院工学系研究科 化学生命工学専攻 教授 野崎京子


野崎京子 京都大学は2022年に創立125周年を迎える。筆者は1982年工学部工業化学科入学,1991年に博士号取得後,2002年まで教員として合計20年間を吉田で過ごした。2002年に東京大学に移籍し,引き続き本年までの20年間を本郷の地で研究・教育に従事した。合計40年間,京都大学を中と外から見つめてきた。今回,本欄に学生時代からの回想を書くにあたり,先日,先輩に話を聞いた。1955年に工業化学専攻修士課程入学(工業化学では女性初,繊維と燃料には先輩がいらっしゃったらしい),1960年博士号取得なので,筆者と合わせると67年,京都大学の歴史の半分以上の時間軸をカバーできそうだ。以下に,この間の大学における研究・教育の変化についての私見をまとめた。

1.変わったこと
写真1 最も顕著な変化を遂げたのは,研究室でのコンピューターの普及だ。写真1は1960年早稲田大学で開催された日本化学会第13年会の様子である。発表内容は模造紙に墨汁で手書き,上部に破れやすいよう新聞紙を貼り付けておき,話し終わると1枚ずつ下に引っ張って破ったそうだ。筆者が初めて参加した日本化学会第52年会では,ロットリングで作成した図をOHP用のフィルムにコピーして用いた。1988年から1年間米国に留学,帰国時に持ち帰ったMacPlusでChemDrawでD論を仕上げた。その後,百万遍のポストに投函していた論文投稿は,Submitボタンをクリックするだけになり,分析機器のソフトも目覚ましく進化した。

2.変えたくないこと

写真2
写真2
 一方,研究室という場で教員と大学院生が切磋琢磨しつつ,研究を進めていくスタイルは変わらない。写真2は1955年の工業化学第5講座の講座旅行の写真だ。服装が時代を感じさせるが,基本的には2019年まで変わらずに続いた文化だろう。先例に捕らわれない自由闊達な京都大学の学風は,こういった場で伝承されることも多かったのではないだろうか。一方で,アフターコロナの世界は全く予測できない。研究室は研究をするところであり,それ以上の付き合いを求めるのは時代遅れかも知れない。いずれにせよ3年生までの座学を終えて4年生になった学生が,研究室という組織の中で破竹の勢いで成長していく様は,昔も今も変わらずまぶしい。形は変わっても,卒業生が後から思い出したときに,自分は研究室で確かに成長した,まぶしく輝いていたと思える環境を守りたい。



3.変えていくべきこと
 2020年5月1日現在の京都大学工学部の女子比率は9.9%だそうだ(出典 京都大学男女共同参画推進センター Webサイト)。筆者の入学時(1982年)女子比率は2%以下と,今よりもさらに低かったが,当時は男女雇用機会均等法施行などの時代背景もあり,若者たちは世の中は変わると楽観していた。しかし…40年たって気づく。何もしないと何も変わらない。私事だが2021年にロレアルユネスコ女性科学者賞など女性限定の賞を複数受賞し,変えていく責任を強く感じている。

4.必ず変えていかなくてはいけないこと
 上述の変わったこととしてコンピューターの進歩を挙げるにあたり,肝に銘じたことを書く。肝心の研究の内容は本当に進歩していると言えるか。もちろん,既報ではない「新しい」研究をおこなっている。しかし,それは1970年代でもできたことではないか。焼き直しを,さも新しく見せて世に出していないか。その研究は,真の基礎研究と言えるか,人類の未来に資するものなのか。自問し続ける。

(工業化学専攻 1991年3月博士後期課程修了)

参照:
京都大学男女共同参画推進センター
数字で見る女性研究者
https://www.cwr.kyoto-u.ac.jp/support/research/statistics/ 京都大学男女共同参画推進センター 数字で見る女性研究者