大きくなり続ける巨人の肩の上に乗り続けていくこと

助教 石井良太

石井良太 桂坂に越してきて彼此30年になる。私が高校3年のときに桂キャンパスが建設されたり,2020年に生まれた第一子に付けた名前と同名のプロジェクト「桂結」が同年発足するなど,京都大学とは並々ならぬ縁を感じている。きっと片思いだろうけど,そういうこともあって,京都大学の品位が傷つかぬよう,また「京大らしい研究をしているね」と言って貰えるよう,桂の地で研究教育に勤しんでいる。さて本稿では,基本的にどのような内容でも書いて良い,と敬愛する先生から有難いお言葉を頂いたので,思うままに記したいと思う。私は基本的に困った性格をしており,その中でも「心配性」と「隣の芝生が青く見える」という側面から,今後の教育と私の専門分野「半導体光物性」について感じていることを記す。
 娘が生まれたこともあり,今後の教育課程について心配がある。歴史の授業,小・中・高のどの段階でも近・現代史が消化不良であったように記憶している(似た記事を目にするので私に限った話ではないようだ)。2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は新1万円札の顔となる渋沢栄一氏を主人公とする話であったが,恥ずかしながら私はこれまで当人を存じ上げておらず,本大河を通して日本の近・現代史に強く興味を持った。旧石器時代から令和時代まで学ばなければいけない娘の世代,そしてもっと未来の世代では,この消化不良問題は顕著になることが必至である。文部科学省をはじめ当該業界で従前認識されている懸念かと思うので,学習指導要領や教育手法の今後の展開に期待したい。
 自然科学系科目についても似た心配を抱いている。ここでは私の専門分野「半導体光物性」を例に取る。半導体光物性とは,半導体における各種素励起(励起子や格子など)と光の相互作用を扱う学問である(専門用語を並べるのは本意ではないので,これ以上の詳細は割愛)。これまでの私の学修によると,1950~1970年代に半導体光物性におけるおよそ礎となる概念が築かれたように思っている。しかしながら,私は良くも悪くも京都大学の自由の学風のもとほぼ独学で学んできたため,この50年以上続く当該分野の知をちゃんと継承できているかしばしば不安に駆られる。そして,伝統的教育が行われている芝生が青く見えてくる。これらは全く困った私の性分によるものであるが(独学の良さもきっとあるに違いない),それはさておき,膨大に蓄積されてきた知の継承に悪戦苦闘している同業界・同年代の人が少なからず(「多数」が本音)いるように感じている。
 既にお気付きの方も居られると思うが,本稿の題はGoogle Scholarトップページの文言「巨人の肩の上に立つ」をもじったものである。ここで書いた心配事は,成熟期を迎えた分野で共通して起きる問題ではないかと私は思う。増え続ける知をいかに次代に結び続けていくか,残念ながら現在の私は明快な答えを有していない。この解を探すべく,そしてキラリと光る研究を展開するべく,これからも仕事に真正面から取り組んでいきたい。

(電子工学専攻)