教育者としての無比の喜びは教育効果を実感すること

名誉教授 三ケ田均

三ヶ田先生 京都大学での20年弱の教員生活が終わろうとしている。長いようで短い期間であったが,改めて振り返ると数々のできごとが記憶の中に残っていることに気付く。その中で,最も印象に残ったのは,工学部・工学研究科の教育への関与である。一つ目は,おそらくキャップ制導入に多少は影響したかもしれない工学部教育制度委員会新工学教育実施専門委員長としての調査,そしてもう一つは工学研究科教育制度委員会国際化対応ワーキンググループ長としての教育国際化の取り組みである。

 毎年11〜12月に開催される工学教育シンポジウムでは,新工学教育実施専門委員長がシンポジウムの最後の講演として工学部教育について総括を行っていた。2010年ごろまで「多くの工学部の学生は,入学後順調に単位数を取得しており,あまり心配はいらない」という雰囲気が伝えられていたと記憶している。自分はこの雰囲気にやや違和感を覚え,約5年のおよそ5000人の工学部学生について実際の成績を調査し,工学教育シンポジウムで発表を行った。単位取得状況および成績を調査した結果は,非常に驚くべきものであった。

 調査結果には,好成績を修める数%の学生や,成績不振で留年を繰り返す数%の学生を除く90%以上の学生に入学後2年間の一般教養履修時に可能な限り数多くの科目の履修登録を行う傾向が,一部の学科を除き明確に顕れていた。履修登録した単位をほぼ全て取得する学生がいる一方で,多くの学生が登録した単位を未取得のまま残す,あるいは消化不良を起こし成績不振に陥る,といった悪循環に陥っていることが判明した(下図参照)。一週間の25コマを全て履修登録することで,学校教育法に定める自習時間の確保も困難になるだけでなく,過剰な履修登録学生数に見合う部屋を確保するなどの無駄が発生していた。また,工学部の一部の講義で実施されていたいわゆる「定点観測」(学生の履修状況調査)科目における出席率と学生の成績の間の相関が非常に高いことも判明した。古来,「京大の学生は授業には出ないが良い成績を残す」と噂に聞いていたが,こと工学では全く逆で,授業に出ている学生が好成績を残していた。全体的に, 1セメスター当たり30単位程度を上限の目安とすること,そして履修登録をした講義には必ず出席し単位を確実に取得することが,入学後の工学部学生が未取得単位を残さないために重要であることを示す調査結果となった。また,この調査は,その数年後に脚光をあびるIR(赤外線ではなくInstitutional Research)の先駆けとなったようである。

約5000名の入学後4セメスターにおける,1セメスターあたりの履修登録科目数と平均合格率の相関図。 どれだけ多くの科目を履修登録しても,平均的には15科目(約30単位)が上限となっていることが統計的に確認できる。
約5000名の入学後4セメスターにおける,1セメスターあたりの履修登録科目数と平均合格率の相関図。 どれだけ多くの科目を履修登録しても,平均的には15科目(約30単位)が上限となっていることが統計的に確認できる。

 その後,工学研究科長の命を受け,教育国際化のためのワーキンググループを教育制度委員会に設置し,大学院教育の国際化に携わることとなった。この作業は,データの収集やそのデータに基づいた教育の改善方法の提案,そして提案した内容を実地に試験するという大変な内容であったが,短い時間内にPDCAサイクルのPDCまでを経験することができ,個人的には非常に満足できる結果となった。教育に限らず,国際化という文言をどう解釈するかは,個人差や組織の置かれた状況に依存する。この国際化での最初の仕事は,学部から大学院に進学した学生の英語力を測る外部英語試験の実施となった。幸にして,学部入学者に対する英語外部試験の実施が始まっていたこともあり,TOEFL-iTPの成績に関する時間的な推移を追うことができた。研究科の運営資金から予算を戴き,この全大学院修士課程入学者に対するTOEFL-iTP試験は2年続けて実施することができた。その結果,入学時のTOEFL-iTPの成績を比較することのできた学生について,9%の学生はなんらかの形で自身の英語力を伸ばす努力をしていたが,それ以外の90%以上の学生の場合は,英語力(3技能:Listening, Reading, Writing)が入学時(おそらく入学試験時)にピークを迎え,その後時間と共に低下していることが明らかとなった。また,TOEFL-iTPの実施と同時に行ったアンケートから,TOEFL-iTPを受験した学生の40%は,自身の英語力不足を認識し,特に英会話力を中心に伸ばしたいと考えていることも明らかとなった。この実施後,アンケート結果を反映する形で立ち上げたのが,学生向けのQUEST(Kogaku Workshop for English Skills Training)設置,および教員向けのトレーニングATE(Academic Teaching Excellence: British Councilの実施する英語で行う講義のスキル・トレーニング)の導入である。前者は工学研究科の運営費で,後者は社会基盤工学・都市社会工学2専攻に配分された研究科長裁量経費により実現できた。当時,研究科のある専攻で,U.C.Davisの類似トレーニングコースに6名の教員を派遣する計画があった。同様なコースを国内で受験できないかを調査した過程でBritish Councilが日本国内で約1週間のATEコースを開講していることを知るに至った。そこでFaculty Developmentの一環として,地球系の教員30名程度に受講をお願いするに至ったというのが経緯である。

 学生向けのトレーニングコースに関し,2002年に東京大学大学院工学系研究科では国際化推進プロジェクト(委員長:機械系笠木伸英教授)が立ち上がり,その後3年の年月をかけ,2005年より外部業者との協働で,学生および教職員を対象とする英会話講座が開設されたことを偶然耳にしていた。この講座は2005年に60名,2010年には全学のB3以上の学生に開放(工学以外から160名参加),2011年以降は毎年工学部学生・工学系研究科の全学生の6%に当たる240名(全学で4〜500名)がコンスタントに参加する英会話講座に成長していた(2023年現在も同規模で継続中)。この手法を踏襲し,東京大学で立ち上げ時から国際化推進プロジェクトに携わって来られた森村久美子先生(東京大学工学系研究科特任教授)の教えを乞い,約3ヶ月で立ち上げたのがQUESTであった。外部業者として,シラバスなどの作成を通じ3業者を選考し,外部業者協働の恒久的に大学の経費に頼らない英会話講座のシステム設計と開設に至ることができた。心配していた受講生数も第一期には69名を数えるなど,東京大学の2005年の実績を超えるレベルとなり,ホッと胸を撫で下ろしたことを覚えている。10週間の講座が無事開始された後,通常の研究室業務に加え週4日の18〜21時の教室巡回や学生との質疑応答など,大変な思いを味わいつつも,学生の明らかな成長を見守ることで大いに楽しんだことは言うまでもない。その後,第二期の学生募集では,説明会だけで120名を超える学生が参加する嬉しい結果となった(写真参照)。ただし,あまりに体力的にハードな半年の経験から,1研究室の教職員では継続的な運営は困難であることも明らかとなり,第二期のQUEST英会話講座の説明会や体験レッスン開始まで行った後,それまでの経験を伝達後,全ての運営をグローバルリーダーシップ教育センター(現ERセンター)に引き継いだ。講座の各教室を巡回し外部業者のレッスンの質を確認すること,大学側担当者が3者(講師・外部業者営業担当者・学生)と密接にコミュニケーションを取ることによる信頼関係の構築ときめ細やかなニーズへの対応,そしてアンケート実施などの学生の負担を最低限に抑えつつ学生がいかに楽しんで受講を継続できるかに配慮することが,この英会話講座の維持に必要不可欠であると悟った半年であった。その結果,試験期にも関わらず,コース終了後の発表会には約2/3の受講生が参加し,3者共有したアンケート結果にも興味を示してくれただけでなく,二期以降のQUESTへの継続参加希望を伝えられるなど,手応えを感じる場面がいくつもあった。

吉田キャンパスN-Sホールで開催された第二期QUEST説明会。 第一期の噂もあり,数多くの学生がQUEST参加に興味を覚えていたことがわかる。 桂と吉田双方のキャンパスで開催された説明会には,合計120名以上の参加者を数えるに至った。
吉田キャンパスN-Sホールで開催された第二期QUEST説明会。 第一期の噂もあり,数多くの学生がQUEST参加に興味を覚えていたことがわかる。 桂と吉田双方のキャンパスで開催された説明会には,合計120名以上の参加者を数えるに至った。

 このQUESTの実施と並行し,社会基盤工学・都市社会工学2専攻で導入した教員向けのトレーニングコースがATEである。東京のBritish Councilへのトレーニング・ツアー1回,そして京都大学で2回の計3回実施し,英語を手段として行う教育に関する特に若手教員31名のレベルアップを図ることができた。単なる座学にとどまらず,参加者全員が模擬授業を担当し,講師からフィードバックを受けるなど,短期間ながら中身の濃いトレーニングであったと聞いている。参加した若手教員から普段なかなか気付けない教える際の英語の使い方,反転学習などについて多くを学ぶことができたという感想と謝辞を伝えられた際には,湧き上がる満足感を抑えることが困難であったことも記憶に残っている。

 国や民間の試験研究機関に属していれば研究に携わることはできる。しかし,研究に加え教育に携わるためには,やはり大学のような教育機関に所属する必要がある。上述した経験,その経験で体験した大きな満足感は,大学に属することで得られたと理解している。また,その満足感がどこから得られたかと考えると,QUEST英会話講座のシステム設計やATEコースの利用により,それぞれ後進の学生や若手教員が実力を伸ばしていく姿を,自分の目の当たりにして確信していく過程にあるという結論に至る。教育の国際化が一体何であるのかという問いにまだ答えを出すに至っていないが,少なくとも教員生活の中で教育に携わる喜びを十分に体感することができたと思う。おそらく,教育の効果を実感することが,教育者としての無比の喜びであろう。上述の機会を与えていただいた関係者の皆さまに篤く御礼申し上げるとともに,工学研究科が今後とも教育の充実に努めていくことを期待している。

(社会基盤工学専攻 2023年3月退職)