退職にあたり ―架け橋―

名誉教授 高野裕久

高野裕久先生 2011年4月1日付で,京都大学大学院 工学研究科 都市環境工学専攻 環境衛生学講座に教授として赴任し,2018年4月,ダブルアポイントメントにより地球環境学堂 地球益学廊 環境健康科学論分野に所属換えとなり,10余年の月日を経て,今日に至りました。京都大学の皆々様には,本当にお世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。
 さて,私,都市環境工学専攻の前身にあたる京都大学衛生工学科が産声を上げた1958年,丁度その年に,この世に生を受けました。雪国の公立高校を卒業し,「大学生活は東京か京都で!」という浅はかな望みをかなえ,京都にある大学に進学いたしました。百万遍の北側(飛鳥井町)に下宿を借り,まさに京都大学の角(百万遍交差点)を右にそれ,鴨川の川向うにある医科大学に6年間,通いました。百万遍の交差点を直進して通学できる程の努力とは程遠い,多様で有意義な?高校生活を謳歌してしまった結果でありました。思い起こしますと,その頃の医科大学長は,ことあるごとに,「荒神橋が細いから,‘川向こう’の大学には行きにくいんや。」というようなことを常々仰っておりまして,私にとって京都大学は‘川向こう’にある,近くて,遠い存在でした。その後,同医大の付属病院や近畿一円に散在するいわゆる関連病院に内科医として勤務した後,1990年に環境庁国立環境研究所に主任研究員として採用され,ディーゼル排気微粒子の健康影響を中心に,環境医学研究に取り組むようになりました。その後,一時臨床に戻った時期もありましたが,再び,国立環境研究所に復帰し,総計14年間,同研究所に在籍いたしました。
 つくばでの研究所暮らしも長くなり,もはや京都に戻ることもあるまいと考えておりましたので,2011年の本学への異動は,自分にとっても意外な展開でした。長い,長い放浪の果て,気が付けば,近くて遥かに見えた‘川向こう’に辿りついていたというような思いでした。そしてその後の10余年,鴨川の‘川向こう’の吉田キャンパスで学部生に講義をし,桂川の‘川向こう’の桂キャンパスで大学院生を教育しつつ,研究を続けさせていただきました。‘川向こう’の医科大学からも,大学院生が行き来してくれるようになり,共同研究も進めることができました。
 さて,‘川向こう’との行き来には,橋が不可欠であります。数ある学問分野の中でも,特に,環境学は,数多くの懸け橋を必須とする学問の代表であります。地球物理,大気・熱力学をはじめとする物理学,環境中の反応に係る化学,生物,ヒトへの影響を理解するための生物学,医学等々,多様な学問に関する理解と知識の上に環境学は成り立ちます。前任の国立環境研究所においても,都市環境工学専攻,地球環境学堂においても,数ある学問分野の‘架け橋’になるような研究と教育を心掛けてきたつもりです。また,周囲の先生方から,自分にはない知識と考え方を教えていただきました。
 特に,学部の講義では,『モノをつくる‘工学’は,意図する目的を達成することにより豊かな現代の創造に貢献する一方,未来に起こりうる非意図的な影響にも配慮し,次世代,生命,地球への責任を忘れてはならない。』と強調してまいりました(下図)。
 今後も,工学と医学,そして環境学の,さらには,より多彩な学問分野や社会との‘懸け橋’として,微力を尽くしてまいりたいと考えております。新年度からは,桂川の川向うの私立大学で,教育,研究,社会活動等にかかわっていく予定となっております。今まで同様,京都大学の皆さまには,ご指導ご鞭撻のほど,宜しくお願い申し上げます。

(地球環境学堂/都市環境工学専攻(ダブルアポイントメント)2023年3月退職)



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