雑感 ~京都大学で過ごした32年~

名誉教授 大塚浩二

大塚先生 私が京都大学に入学したのは1977年4月ですので,早いものでそれから45年余りの歳月が流れたことになります。学生時代9年間(学部・修士課程・博士後期課程)とポスドク2年間(JSPS特別研究員)の11年間を工学部工業化学科/工学研究科工業化学専攻で過ごし,現在の専門である分離分析の研究に没頭しました。と言うと真面目な学生像が想像されますが,実際はサークル活動(音楽部交響楽団=京大オーケストラ)にかなり注力していたので,いわゆるよい学生ではなかったと思います。1988年4月に教員生活の原点となる大阪府立工業高等専門学校(府立高専,現大阪公立大学工業高等専門学校)に赴任(講師,後に助教授)し,7年間勤務しました。同校は高等教育機関ではあるものの,教育重点の学風であり研究に勤しむ雰囲気ではありませんでしたが,いろいろ工夫して研究を続け学会発表もこなしていました。そんな状況下で非常に有難かったのは,文部省の在外研究員として米国に留学する機会を得たことでした。細かい経緯は忘れてしまいましたが,留学のために大阪府立大学(現大阪公立大学)の教官に併任するという特別措置が制度化されていたので幸運にも採択されたのでした。わずか半年間(1991年9月~1992年3月)ではありましたが,Stanford大学化学科のRichard Zare教授の研究室に留学させていただきました。Zare教授は物理化学・分析化学分野で当時から世界的に著名で,80歳を過ぎた現在でも現役バリバリの教授として後進の指導に当たっておられ,今も世界中の若手研究者が彼の研究室への留学を希望しています。私は当時30代半ばの若輩者でありましたが,私の論文によって研究内容を理解していたZare教授は,留学希望を二つ返事で快諾してくれたのでした。それから現在に至るまでZare教授とは親しくお付き合いをさせていただいており,私の研究室の卒業生2人も研究員として受け入れてくださいました。
 その後,阪神淡路大震災直後の1995年4月に,府立高専から姫路工業大学(現兵庫県立大学)理学部に助教授として異動しました。この時の研究室の教授は,京都大学で大学院時代にご指導いただいた寺部 茂先生でした。いわば古巣に戻ったような感じで,再び分離科学の研究を進展させるとともに,いろいろな学会の開催を手伝う機会をいただきました。この間の経験が,京大に戻ってからの研究や学会主宰の足がかりとなる貴重なものであったと,今さらながら思います。
 2002年4月に縁あって京都大学に戻ることになりました。京大の外で14年間勤務したわけですが,その間に大学院重点化や専攻再編が行われていて,着任当初は全くの別世界へ飛び込んだかのような印象を持ちました。担任分野は,もともと所属していた「工業分析化学」研究室ではなく,当時の「一般分析化学」研究室で,外様のような感覚がありました。2003年度には専攻長に任ぜられましたが,桂キャンパスへの移転という大事業が待ち受けていました。私の研究室は化学系(すなわち工学研究科)の移転第一号となり,移転作業当日(2003年6月23日)にはいくつかのマスコミの取材を受けました。余談ですが,何故か福岡のNHKローカルニュースでこの移転の話題とともに私のインタビューが配信され,九州大学の先生から『ニュース見たよ』との連絡をいただいたことが思い出されます。研究室の移転によって研究環境が飛躍的に向上したことは紛れもない事実でした。吉田キャンパスでは,それまでの歴史的経緯から,研究室の配置(いわゆる領地)が力関係によって左右されていたきらいがあり,私の研究室(実験室)は複数階に飛び飛びに配置されているような状況で極めて不便でした。それらが移転によって全てリセットされ,全研究室が均等に配置されるようになったことは,私にとっては画期的な出来事でした。当たり前のことではありますが,研究室が一箇所に集中して配置されていることは,あらゆる面から合理的であると言えるでしょう。移転当初は,水道水が飲めない,生協(食堂/売店)が無いなどという日常の生活にも支障がある状況に加え,地域住民の方々からも「環境破壊者」的な見方で接せられるなどの困難も経験しましたが,今となっては懐かしい思い出です。ただ,移転からほぼ20年が経過した現在において,桂キャンパスの状況は決して満足のいくものではありません。食堂/売店をはじめ福利厚生施設はお世辞にも良好とは言えませんし,建物の至る所で老朽化が見え始めています。わが国の工学研究をリードする場として相応しい環境整備をぜひ今後も精力的に推進していただきたいと思います。移転当時はキャンパス内に緑はほとんどありませんでしたが,多くの先輩方のご尽力で桜などの植樹が進められ,今ではBクラスターを中心に春には花見ができるほどに緑豊かな環境となったことは喜ばしいことだと思っています。

 さて,工学広報という本誌の性格上,私の研究について少しばかり触れておきたいと思います。上述のように私の専門は分析化学分野の一つである分離分析で,特に小さな液相領域での分離分析(ミクロスケール液相分離)を中心に研究展開してきました。大学院時代に開発に携わったMEKCと呼ばれる手法は,キャピラリー電気泳動(毛細管中で行う電気泳動)によって中性化合物を分離するという本来起こり得ないことを可能にした技術で,私はこれにより学位を取得しました(1986年3月)。思えばそれ以降,類似した研究を40年ほど続けてきたことになりますが,京大での研究室運営が軌道に乗り始めて以降は,准教授以下のスタッフに研究の中心を移行しながら進展を見守ってきた感があります。言うまでもなく京都大学は概して優秀な学生がそろっていて,スタッフとの協働作業の中,時として驚くような新発見をしてくれることがあります。私の研究室の卒業生からは,多くはありませんが,博士後期課程に進学して学位を取得し大学の教員になった者が数名いて,現在若手研究者のリーダー的存在として活躍してくれています。また,社会人で博士後期課程に編入学して学位を取得した方も何人かおられます。博士課程への進学者が劇的に減少しわが国の将来の研究レベルの低下が懸念されている現在,なんとかして博士後期課程への進学者を増やす方策を考えなければなりません。この問題は,私の着任時から言われ続けてきたことですが,いよいよ切羽詰まった状況になっているような気がします。私は現役を退き外部から京都大学の動向を見せていただく立場になりますが,ぜひ次代を担う優秀な人材育成について現職教員の皆様にはご尽力いただければ幸いに存じます。
 とりとめのないことばかりを書き連ねてきましたが,工学部/工学研究科には学生・ポスドクの11年間と教授の21年間,計32年間の長きにわたってお世話になりました。衷心から感謝申し上げます。京都大学のさらなる発展を祈りつつ,この拙文を終えたいと思います。誠に有難うございました。

(材料化学専攻 2023年3月退職)

 

Zare教授80歳記念祝賀会にてZare教授ご夫妻と (San Diego, CA, USA; 24 August 2019)。
Zare教授80歳記念祝賀会にてZare教授ご夫妻と (San Diego, CA, USA; 24 August 2019)。

恩師 寺部 茂 先生(当時京大助教授)と筆者 (PD) (1987年 工業分析化学講座)。
恩師 寺部 茂 先生(当時京大助教授)と筆者 (PD) (1987年 工業分析化学講座)。